2023年11月20日月曜日

【GHQ占領と日本】09.GHQの占領政策と、その後の日本

【GHQ占領と日本】09.GHQの占領政策と、その後の日本

 戦後日本に対してGHQがおこなった経済面の三大改革は、「財閥解体」「農地改革」「労働改革」だと言われる。これらのGHQの狙いは、日本の軍国主義を復活させないための、徹底した経済の民主化および自由化であった。これらの政策改革を通じて、戦中に破壊された生産設備の回復と復興を為し遂げ、やがて高度経済成長の軌道に乗っていった。

 「財閥解体」においては、三井・三菱・住友・安田の四大財閥のみならず、富士産業(旧中島飛行機)などの軍需国策企業や中小地方財閥までもが解体され、「持株会社制度の禁止」と株式の分散という形で、「資本の分散と民主化」が図られた。

 さらに「公職追放」では経済界においても、財界重鎮や企業の幹部層が一気に職から追放されたため、財界や企業の中心にそれまでの中堅管理職や若手官僚が抜擢され、一気にトップが若返ることになった。産業界には進取の機運がみなぎり、アメリカなどから最新の手法を取り入れるなど、経済界が一気に改変され活発な企業活動が始まった。

 「農業界の民主化」は、「農地改革」という形で展開された。産業界の改革は「資本所有の民主化」に始まったが、農業分野においては、それに相当する「農地所有の民主化」という形で着手された。戦前の「大地主制」が農業の発展を阻害しているとの認識のもと、それまでの「小作農」などに、ほぼただ同然に分割所有させた。

 これによって多数生まれた自作農は、当初は農業の政策拡大に多くの寄与を果たすことになった。しかし分散された農地は、その後の農業機械の導入や大きな資本導入による大土地農業による効率化を阻むようになった。米作中心に据えた食管法などの農業政策も矛盾を露呈し、やがて日本の農業の衰退を招くようになった。

 「労働改革」は、まずGHQによって、労働者の権利を守るために「労働組合」の結成が推奨された。しかしこれらの組合は、共産党や社会党などの革新政党によって指導されることによって、経済的な活動よりも政治的な急進的イデオロギーを前面に出すようになった。そのため、GHQや日本政府は「労働運動」に抑圧的な政策に転換していく。

 戦後に誕生した労働組合は、欧米のような産業別労働組合ではなく、その多くが「企業別労働組合」として組織されたため、やがて「企業内組合」として経営側に組み込まれて行った。その中で唯一、戦後も長くその影響力を残したのが「教職員組合」であった。その原因は、教職員組合がその学校制度の形態から、必然的に「産業別組合」の性格をもったことが大きい。

 GHQは教育の民主化を意図したが、直接担当する民生局(GS)は急進派が主流を占めていたため、極端な急進改革を進め、一方で共産党の合法化や労働組合の推奨など政策と相まって、教育の左傾化をもたらした。その後、逆コースなど方針転換があったものの、教育現場の左翼的傾向は長らく温存されることになった。

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