2023年11月15日水曜日

【GHQ占領と日本】05.農地改革(農地開放)

【GHQ占領と日本】05.農地改革(農地開放

 1945(s20)年12月9日、GHQ最高司令官マッカーサーは、日本政府に「農地改革に関する覚書」を送り、数世紀にわたって封建的社会のもとで継続されてきた「地主制度」を解体し、農地の所有制度の根本的改革を指示した。

 元来、日本の政治家や官僚の間には、農村の疲弊を打開するために地主制度を解体する案はあった。しかし、財界人や皇族・華族といった地主層の反対が強く、戦前には実施できなかったが、財閥解体と同様に「農地改革」も、GHQの強権のもとで一気に実現する運びとなった。

 第一次農地改革法は国会を通過するが、GHQの意に沿っていなかったため、その後日本政府はより徹底的な第二次農地改革法を作成、1946(S21)年10月に成立した。具体的には「農地調整法(1938年)の改正」と、「自作農創設特別措置法(1946年)」及び「関連法の特別会計法」などである。

 このようにして、長年続いてきた大地主による「小作制度」は廃止され、地主が所有していた小作地は、いったん農林省が土地所有者として登記されてから小作人に分割されるなどした。この法律のもと、以下の農地は政府が強制的に安値で買い上げ、実際に耕作していた小作人に売り渡された。

・不在地主の小作地の全て
・在村地主の小作地のうち、北海道では4町歩、都府県では1町歩を超える全小作地
・所有地の合計が北海道で12町歩、都府県で3町歩を超える場合の小作地等
 また、小作料の物納が禁止(金納化)され、農地の移動には農地委員会の承認が必要とされた。

 農地の買収譲渡は1947(s22)年から1950(s25)年にかけて実施され、最終的に193万町歩の農地が、237万人の地主から買収され、475万人の小作人に売り渡された。しかも、当時の急激なインフレーションと相まって、農民(元小作人)が支払う土地代金と元地主に支払われる買上金はその価値が大幅に下落、実質的にタダ同然で譲渡されたに等しかった。

 譲渡された小作地は、終戦直後の小作地の8割に達し、農地に占める小作地の割合は46%から10%に激減し、戦前日本の農村を特徴づけていた地主制度は完全に崩壊し、戦後日本の農村は自作農がほとんどとなった。この農地改革は、GHQによる戦後改革のうち最も成功した改革といわれる。

 日本の農地改革は、「専業的家族経営(中農)」を創出し、自営農による「生産力の向上」を目指したもので、改革当初は農業労働意欲を高め「農産物の増産」に寄与した。また、この農地改革は、日本の有権者の約半数が農業従事者であり、その大部分が自作農として耕地を私有財産として持つようになり、その多くが「保守支持層」となって、戦後の政治運営を安定化させた。

 農地改革は、敗戦後の雇用や食料供給の安定化に多大な貢献したが、その後、日本経済が高度成長の軌道に乗ると、小規模自営農に細かく区分された土地所有は、農業機械の稼働能率が低く、しかも大規模化・効率化が遅れるようになった。小規模零細経営や米優先農政により、次第に日本農業は競争力を低下させ、戦後の食料自給率を大幅に低下させていった。

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