2023年11月13日月曜日

【GHQ占領と日本】04.経済の集中排除と経済制度民主化(財閥解体)

 【GHQ占領と日本】04.経済の集中排除と経済制度民主化(財閥解体)

 アメリカを中心とする連合国側は、日本の財閥が日本軍国主義を制度的に支援したとの認識から、これを解体する事で軍国主義を壊滅できると考えた。そして連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)は、1945(s20)年10月11日「経済の集中排除と経済制度の民主化」を指示。そして「過度経済力排除政策」の中核を「財閥解体」と定め、日本政府にその解体を指示した。

 当初、日本政府は財閥解体には消極的だったが、GHQ経済科学局長レイモンド・クレーマーは10月16日に声明を発し、財閥解体に当たっては日本側の自発的な行動に期待するが、日本側に積極的な動きがない場合には、GHQが直接に実施に乗り出すとした。

 これにより、日本政府や各財閥は「財閥解体やむなし」と考え、政府は三井・三菱・住友・安田の4大財閥と協議を進め、「財閥解体計画案」をGHQに提出する。GHQ総司令官ダグラス・マッカーサーは11月6日、日本政府案を修正し、監督・検閲権を留保する事を条件に、日本政府案を承認した。これを受け日本政府は11月23日、勅令「会社ノ解散ノ制限等ノ件」を公布し、財閥解体が始まった。

 日本政府は、持株会社の有価証券等の整理を進める「持株会社整理委員会」を発足させ、1946年8月23日から委員会は活動を開始した。9月6日、政府は軍国主義である三井本社・三菱本社・住友本社・安田保善社・富士産業(旧中島飛行機)を持株会社であると特定し、これに基づき委員会は、5社に解散を勧告し財閥解体政策は実行に移された。富士産業は純軍需産業としてみなされたため、4財閥に付け加えられた。

 財閥解体は、この4財閥+富士産業の第1次指定に終わらず、中堅財閥や新興コンツェルン、さらには地方財閥・小規模財閥などにも及び、1947(s22)年9月の第5次指定まで続いた。資本の民主化は、旧財閥や創業家一族などが保有する株式等有価証券を、証券処理調整協議会にゆだね、ひろく民間に分散売却することで達成された。

 1947(s22)年には、「過度経済力集中排除法」および「独占禁止法」が成立し、財閥解体措置の効果を恒久化しようとした。過度経済力集中排除法は、「過度の経済力の集中を排除」して再編し、競争的な市場構造を創り出すことを目的とした。そして独占禁止法は、株式所有による支配力の排除や、企業間における「資本的支配関係を阻止」しようとするものであった。

 ところが、米ソ冷戦によるの変化を背景に、米国政府およびGHQは、いわゆる「逆コース」と呼ばれる対日占領政策の転換が始まり、経済対策も「日本経済自立化の促進」に転換された。そのため、集中排除法や独占禁止法も一部骨抜きにされ、温存された銀行など金融機関を中心に、「企業系列」という形での旧財閥系企業の結びつきが復活することになる。

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