【GHQ占領と日本】02.日本軍武装解除と戦犯の軍事裁判
連合国軍による最初の仕事は、日本全国の軍事施設を解体し旧日本軍の完全武装解除を進めることであった。残存していた兵器類は全てスクラップ化、軍用地はその多くを駐留軍が引き継ぎ、占領政策の礎とした。開発中の新兵器であったロケット戦闘機「桜花」や「潜水空母」とも称される「伊四百型」巨大潜水艦なども、すべて接収され研究環境は破壊された。また民間研究であった理研などのサイクロトロンも、原子爆弾製造の基礎研究と考えられ、完全に破壊され海洋投棄された。
並行して、軍国主義を推進した戦争犯罪人の逮捕が始まった。連合国軍は占領直後から戦争指導者の検挙を始めて、東條英機元首相を含む数十名を逮捕し、A級戦犯として極東国際軍事法廷の判決で東條以下7名を死刑、その他多数を禁錮刑や終身刑に処している。「極東国際軍事裁判(東京裁判)」は、1946(s21)年5月3日から1948(s23)年11月12日にかけて行われた。
極東軍事裁判は、ポツダム宣言にもとづき、連合国11ヵ国の裁判官によって構成され、日本の戦争犯罪を裁くため設けられた。この裁判は、「日本の戦争責任」を審判するものとされ、満州事変以来の日本の軍事行動は侵略戦争であると断定された。
「A級戦犯」は、「平和に対する罪」を犯したものに課せられ、不法に戦争を起こす行為や、その戦争の計画を推進したものとして訴追された犯罪人のことをいい、国家や軍の指導者が大半を占める。それ以外の「通例の戦争犯罪」で訴追されたものが「B級戦犯」で、さらに「C級戦犯」は「人道に対する罪」に問われたものを指すが、具体的には俘虜虐待などが多い。
東京裁判に対しては、戦勝国による一方的は不当な裁判であるとか、「平和に対する罪」は事後法適用で法理論に反するとかいう批判があるが、そもそも無条件降伏した敗戦国を裁く軍事法廷である以上、とやかく言ってもしようがない側面がある。
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