2022年7月8日金曜日

【歴史コラム】26.エリア・カザン、ジェームズ・ディーン、そしてマーロン・ブランド

【26.エリア・カザン、ジェームズ・ディーン、そしてマーロン・ブランド】


 ジェームズ・ディーンは、エリア・カザン監督『エデンの東(1955)』で一躍スターの地位に立った。ジョン・スタインベックの原作だが、映画ではラストで牧師が、「カインは主の前を去って、エデンの東、ノドの地に住んだ」と旧約聖書創世記の一節を読み上げるシーンで、「カインとアベル」の物語が下敷きなのだと気が付く。つまり、兄弟殺しの話しが基調にある。

 エリア・カザンは名監督ではあるが、マッカーシー赤狩り旋風のときには、告発から逃れるためにハリウッド仲間を売った裏切り者ともされている。晩年になって、アカデミー賞名誉賞が贈られた時にさえ、多くの関係者や著名俳優がスタンディング・オベーションを拒否したほど、傷は深かった。

 ちなみにハリウッドで仲間を売った赤狩り三悪人は、エリア・カザンのほかに、当時俳優組合委員長だったロナルド・レーガン、白人至上主義レイシストのウォルト・ディズニーあたりが挙げられる。

 ジェームズ・ディーンと言えば、リーバイスのCMで映像が使われたので勘違いされるが、実際に愛用していたのはリー(Lee 101 Riders)であった。しかも、それより先行して、若者のファッションアイテムとしてのジーンズを流行らせたのは、『乱暴者(あばれもの) ”The Wild One” (1953)』で暴走族のリーダーを演じたマーロン・ブランドだった。

 ただしこの時は、ワルで乱暴者のイメージが濃厚で、多くの学校で生徒がジーンズを着用するのを禁じたという。

 マーロン・ブランドは、奇しくもエリア・カザン演出の『欲望という名の電車(1951)』で、中年になったヴィヴィアン・リーと共演し、一気にスターダムを駆け上った。彼はヴィヴィアンが身を寄せた妹のアパートで、妹の亭主として粗暴な労働者を演じた。このときマーロン・ブランドが身に着けていた薄汚れた半袖下着が、若者にカッコ良いと真似され、ここからファッションとしてのTシャツ文化が広まったという。

 なおマーロン・ブランドは、戦後の新たなワル風若者のパイオニア的存在で、ジェームズ・ディーン、エルビス・プレスリー、ジョン・レノンなども憧れて模倣したとされる。

 ところで、日本で最初にジーンズをはきこなした男として、白洲次郎が有名だが、これは昭和20年代。日本の若者がジーンズをはき出したのは昭和30年代後半、東京オリンピックの頃からだから、普及に直接寄与したとは言い難い。ちなみにこちらは、Levi's 501。

 しかし、上半身は下着ではなさそうだし、ポロシャツ風の襟もないからTシャツかな。となると、マーロン・ブランドよりはやく、Tシャツ&ジーンズのファッションをこなしてたのかも知れない。

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