2022年7月9日土曜日

【歴史コラム】27.半ドンの記憶

【27.半ドンの記憶】

 
 『「半ドン」よ、もう一度:令和時代“温故知新”の働き方改革』とのタイトルで、次のような記事を目にした。かつて半ドンで土曜日は半日だけなので、その分集中して仕事効率が高まった経験から、別の曜日でも導入してはどうか、という提案のようだ。 http://agora-web.jp/archives/2038768.html

 半ドンという半日就業の仕組みは、明治時代から公務員や学校などを中心に、土曜日は半日だけ仕事をし、午後からは休みとすることで普及した。近年は、週休二日制が普及し土曜日も休むことが多いので、半ドンという言葉も使われなくなり、死語の扱いになっている。

 半ドンのドンは、オランダ語で日曜日のことを"zondag”ということから、ゾンタークがドンタクとなまり、「博多どんたく」などと使われている。そして、半分休日ということで「半ドン」という言葉が普及したとされる。

 しかし一方で、こういう語源説もある。明治のころ、いまだ庶民に時計が普及していない時期には、皇居などで大砲の空砲をドンと鳴らして、正午を知らせたところから来ている。やがて全国の主要都市で、このドンが導入された。従って語源がzondagにあるかどうかはともかく、一般庶民は大砲の「ドン」という音のことと認識していたはずである。

 漱石の「坊ちゃん」でも、「腹の減った時に丸の内で午砲(どん)を聞いたような気がする」と使われていて、午砲と書いてドンと読ませている。

 語源はおくとしても、「昭和の末ごろ」に「法定労働時間が法改正されて、半ドンが多く採用された」というのは、明かな間違いだろう。実際には、明治9年に公官庁で土曜半休となったとされているし、学校や民間企業でも、少なくとも、昭和30年代に兄が中堅企業に就職し、私は小学生になったった頃には、ともに「半ドン」を満喫していた記憶がある。

 小学生の頃には、メーデー(当時は5月1日と決まっていた)は平日でも、半ドンにして午后は休みにされた。これは教職員組合員が大多数の教師が、労働者の祭りメーデーに参加できるようにという配慮で、子供には関係ないのだが。

 あるいは、近所の鎮守の森の神社の秋祭りでは、その氏子地域の生徒だけが半ドンで帰してもらえた。それから張り切って神輿を担いだものだ。この時代には、比較的安直に半ドンが決められたようで、さすがに休日にするには全体的な判断が必要だろうが、半ドンは簡単に現場レベルで決められる融通性があったようだ。

 いずれにせよ、記事の趣旨は「若者の労働意識に”半ドン”が与える効果」みたいなもので、それなりの意味があるかも知れない。丸ごと一日休みにして若者を朝寝させておくよりも、いったん出社なり登校してから、昼から解放されて街中で活動させる方が、経済活動としてはプラス効果があるだろうし、健康健全性にも寄与するかも知れぬ。

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