【21th Century Chronicle 2019(h31/r1)年】
◎新元号「令和」
*2019.4.1/ 新元号は「令和」とする、 出典は万葉集よりと、 官房長官が発表する。
*2019.5.1/ 「平成」が終わり、元号が「令和」となる。
2019(h31)年4月1日、政府は、平成に代わる新元号を「令和」と決定し発表した。菅義偉官房長官が記者会見し、墨書を掲げて公表した。出典は「万葉集」からで、日本の古典から元号が採用されたのは初めてであった。新元号は天皇陛下の退位に伴い2019(r1)年5月1日午前0時から施行すると発表された。
当時の天皇明仁が譲位の意を示したのは、2010(h22)年7月22日とされており、2016(h28)年8月8日に宮内庁は、当時82歳の天皇からのビデオメッセージを公表した。それによると、自らの高齢化により従前のように公務が果たせなくなることを懸念し、公務が途切れることなく安定的に続くことを望むとの趣旨で、公務が果たせている間に、皇太子徳仁親王に皇位を譲りたいという趣旨を示した。
天皇の生前退位の規定がないので、天皇陛下の「お気持ち表明」を受けて、内閣官房に有識者会議が設置され、憲法第1条との兼ね合いから、国会による事前協議等を受けた上で、政府は法案を作成して国会に提出した。法案は衆・参議院で可決され、2017(h29)年6月16日、「天皇の退位等に関する皇室典範特例法」として公布された。
2019(r1)年5月1日午前0時、「特例法」の規定に基づいて、第125代天皇明仁が退位し「上皇」となり、明仁の第1皇男子である徳仁親王が第126代天皇に即位した。この皇位の継承を受けて、「平成」から「令和」に改元された。
生前の天皇退位は明治以降の憲政史上初めてであり、退位した前天皇は「上皇陛下」、前皇后は「上皇后陛下」と呼ばれる。なお「一世一元」とされた明治以降、明治天皇、大正天皇、昭和天皇と元号を付けて呼ぶことになっているが、これらは「諡(おくりな)」であり、生前に「平成天皇」と呼ぶことはない。
2019(h31)年4月1日の発表まで、新元号はさまざまな予想がなされたが、「令和」と決められた。「令和」の典拠は「万葉集」の巻五、梅花の歌三十二首の序文からで、漢籍ではなく日本の古典(国書)から選定されたのは初めてである。
この序文は、天平2年1月13日(730年)、大宰帥(大宰府の長官)である大伴旅人の邸宅で催された「梅花の宴」での、梅花の歌三十二首の序文として書かれたもので、「時に、初春の令月にして、気淑(きよ)く風和(なごやか)に、梅は鏡前の粉を披(ひら)き、蘭は珮後(はいご)の香を薫はす」から「令月」と「風和」を抜き出して、元号の「令和」としたものである。
(この年の出来事)
*2019.1.11/ 訪日外国人旅行者が3,000万人を超える。
*2019.2.28/ 2回目の米朝首脳会談で、非核化の進め方で合意できず。
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