2021年1月25日月曜日

【21C_h3 2012(h24)年】

【21th Century Chronicle 2012(h24)

◎ロンドンオリンピック*2012.7.27/ ロンドンオリンピックが開幕する。

 2012年ロンドンオリンピック競技大会は、2012(h24)年7月27日から8月12日までの17日間、イギリスのロンドンで開催された。ロンドンが史上初となる3度目(1944年は中止)の夏季オリンピック開催地となった。ロンドンオリンピック開会式は、「驚きの島々(The Isles of Wonder)」というテーマで、映画監督のダニー・ボイルが演出を担当、テクノバンドアンダーワールドが音楽監督を務めた。

 開会式式典のアトラクションは、イギリスの歴史をたどるように展開され、映像でグロスタシャーの昔の農村風景から始まると、 競技場には中世の村落が復元され、当時の衣装を着た俳優らが登場し、次第に産業革命を経て近代の都市に変わってゆく様子が演じられた。テーマはシェイクスピアの「テンペスト」にちなんでおり、その一節が読み上げられると、産業革命の象徴として巨大な製鉄所が登場し、鍛冶職人らが赤く熱せられた鉄を打ち、それらが高く挙上され巨大な五輪となる演出が展開された。

 そして、ダニエル・クレイグ演じるジェームズ・ボンドが、エリザベス2世を会場へエスコートするという設定のイベントに続いて、本物のエリザベス女王がエディンバラ公とともにスタジアムの貴賓席に登場するという演出が行われた。そして、イギリス国旗が掲揚され、聴覚障碍者児童の合唱団によってイギリス国歌「女王陛下万歳」が歌唱された。

 第2部では、イギリスの国民文化が広く紹介され、「ピーター・パン」から「ハリー・ポッターシリーズ」までの児童文学から、「オリバー・ツイスト」など国民文学まで広く紹介され、最終部では、イギリスがほこる電子計算機技師で、wwwの生みの親であるティム・バーナーズ=リーが登場、「これはみんなのために "This is For Everyone"」というメッセージを、会場のLED照明に表示させた。

 いよいよメインイベントが開始され、参加国の選手団入場行進では、最後に開催国イギリス選手団が、デヴィッド・ボウイの「ヒーローズ」に乗って、大歓声に迎えられ登場した。ジャック・ロゲIOC会長のスピーチのあと、エリザベス2世がロンドン大会の開会を公式に宣言した。続いてオリンピック旗が、「オリンピック賛歌」の流れるなかで掲揚された。

 デイヴィッド・ベッカムがテムズ川を、スピードボートを操縦して聖火を運ぶという演出のあと、かつての金メダリストたちの手で聖火はスタジアムに運ばれ、将来を担う7人の若手選手たちに手渡された。7人がそれぞれ放射状に広がった装置に点火すると、アームが立ち上がって巨大な聖火台となって燃え上がった。式典のトリとしてポール・マッカートニーが登場、「ヘイ・ジュード」を歌い上げ、やがて選手・観客全員での大合唱となって式典が締めくくられた。

 陸上競技では、ジャマイカのウサイン・ボルトが北京大会に続いて100m・200mで2連覇、4×100mリレーでもジャマイカチームとして優勝し、短距離走3冠を達成した。開催国イギリスでは、自転車競技ロードレースの男子個人タイムトライアルで、ツール・ド・フランス総合優勝のブラッドリー・ウィギンスが金を獲得、またトラックレースでは男女10競技中6競技で、英国人や英国チームが優勝するという、自転車王国ぶりを発揮した。

 日本選手では、レスリング女子で伊調馨と吉田沙保里が五輪三連覇、ほかにも男子 米満達弘、女子 小原日登美が金と活躍した。体操競技は、男子団体は中国に敗れて銀となったが、個人総合ではエース内村航平が、2大会連続で金メダルを獲得した。期待の柔道は、金は女子57kgの松本薫だけに終わったが、ボクシング ミドル級で村田諒太が大健闘し、ボクシングでは1964年東京五輪以来48年ぶりの金メダリストとなった。


◎山中伸弥教授 ノーベル医学・生理学賞
*2012.10.8/ 京都大学教授 山中伸弥氏がノーベル医学・生理学賞を受賞する。

 2012(h24)年10月8日、ノーベル財団(スウェーデン)は、ノーベル生理学・医学賞を山中伸弥 iPS細胞研究所長に授与すると発表した(共同受賞者 ジョン・ガードン卿)。体のさまざまな組織や臓器になる「人工多能性幹細胞(iPS細胞)」を作製したことが、授賞理由とされた。

 受精卵は体の様々な器官に分化してゆくが、いったん分化成長し特定の器官を構成した細胞は、別の様々な細胞に分化誘導することはできない。もし一般の体細胞から、あらゆる組織・器官を分化・形成できる分化万能性を持った細胞ができれば、画期的な再生医療への応用が可能となる。

 これまで「胚性幹細胞(ES細胞)」が、様々な細胞に分化誘導できることが知られていた。しかしES細胞は発生初期の胚からしか得ることができず、ヒトES細胞については胚の採取が母体に危険を及ぼすこと、ヒトの個体に生育しうる胚を実験用に滅失する倫理的な問題などがあり、その研究には厳しい制約がともなった。

 一般の分化した体細胞を、未分化な分化万能細胞へと戻すこと(初期化:リプログラミング)ができれば、分化万能性を持った細胞が得られることになるが、この仮説を裏付けていたのは、1962年にジョン・ガードンが核移植技術で、カエルのクローン胚作製に成功した事例にはじまるクローン技術であった。

 奈良先端科学技術大学院大学で、山中は、体細胞を多能性幹細胞へとリプログラムする因子の探索に没頭し、2004(h16)年に京都大学再生医科学研究所へ移ったあと、24個の候補遺伝子を導入することで、ES細胞に酷似した形態を示すことを発見した。この因子をさらに4遺伝子(山中因子)に絞り込みの上、2006(h18)年8月、米学術雑誌セルに論文を発表し、生成された細胞株を「iPS細胞」と命名した。

 マウスiPS細胞はさらに改良を加えられ、ヒトiPS細胞の樹立には困難な点もあったが、2007(h19)年11月、山中チームは、人間の大人の皮膚に4種類の遺伝子を導入して、ヒト人工多能性幹 (ヒトiPS) 細胞を生成する技術を開発、科学誌セルに発表した。

 ヒトiPS細胞の特許については、バイエル薬品が先行していた可能性が指摘されたが、2016(h28)年現在、京都大学iPS細胞研究所が基本特許を保有し、非営利の特許管理会社を通じてライセンスは無償提供されている。

  山中伸弥(1962年9月4日生 )は大阪府に生まれ、その後、奈良市に転居し育った。大阪教育大学附属天王寺中学校・高等学校から、神戸大学医学部医学科へ進学し、卒業後、臨床外科医の道に進んだが、手先が不器用な自分には不向きと思い、研究者を志望するようになった。

 1989(h1)年、一時勤務した病院を退職して、大阪市立大学大学院に入学、1993年には医学博士の学位を取得した。 科学雑誌の公募に応募し、カリフォルニア大学サンフランシスコ校グラッドストーン研究所へ博士研究員として留学、トーマス・イネラリティ教授の指導の下、iPS細胞研究を始める。

 帰国後、大阪市立大学薬理学教室助手では予算不足などで苦闘したが、奈良先端科学技術大学院大学の公募に応募し、恵まれた研究環境で基礎研究を再開することになる。その奈良先端科学技術大学院大学で、iPS細胞の開発に成功し、2004(h16)年、京都大学へ移ってさらに研究を深め、2006(h18)年8月、米学術雑誌セルでiPS細胞作製の論文を発表する。

 2007(h19)年11月、山中のチームは、4種類の遺伝子を導入するだけで、ヒト人工多能性幹 (ヒトiPS) 細胞を生成する技術を開発、科学誌セルに発表して世界的な注目を浴びた。以後、さらにiPS細胞の実用性を進め、2012(h24)年10月、それらの科学的貢献でノーベル生理学・医学賞を受賞、現在も京都大学iPS細胞研究所所長・教授として、iPS細胞実用化プロジェクトの総指揮をとって貢献中である。

◎習近平が中国共産党総書記
*2012.11.15/ 中国共産党トップの総書記に習近平が就任する。

 2012年11月15日に開催された第18期中央委員会全体会議において、「習近平(シュウキンペイ)」が党中央政治局常務委員に再選され、党の最高職である中央委員会総書記と軍の統帥権を握る党中央軍事委員会主席に選出された。李克強を国務院総理(首相)に任命し、引退した第4世代の指導者 胡錦濤・温家宝らに代わる、中国共産党の第5世代の習・李体制を本格的に始動させた。

 習近平は1953年陝西省で、八大元老とされた習仲勲の子として生まれた。しかし習仲勲は文化大革命で失脚し、習近平も反動学生として批判され、紅衛兵によって自己批判させられ、何度も監獄に放り込まれたという。しかし、父習仲勲は1978年党大会で復活し、習近平も後に、父の出身地陝西省を冠にした「陝西幇」という共産党内の派閥をベースに、党総書記に上り詰めた。

 習仲勲の子である習近平は、中国共産党の高級幹部の子弟で特権的地位にいる者たちで、世襲的に受け継いだ特権と人脈を基にして、中国の政財界や社交界に大きな影響力を持つ「太子党」に属するといわれる。一方、中国共産党のエリート青年組織「共産主義青年団」の出身者は「団派」と呼ばれ、中央と地方の党の官僚組織の中核を担うテクノクラートを構成している。

 前々任者の「江沢民」は、技術テクノクラートとして経歴を高め、上海で基盤を築いたため「団派上海幇」とされ、前任の胡錦涛は特定の地域閥を持たず、土木技術者として活動するなかで、政治工作担当の専門職テクノクラートとして政界進出への第一歩を踏み出したため、単に「団派」とされる。

 習近平は、2008年3月の全人代で国家副主席に選出され、ポスト胡錦濤の最有力者とされるようになった。2009年12月には、国家副主席として日本を訪れ、天皇との特例会見をするなど、次期総書記への実績を固めていった。しかし 胡錦涛直系の共青団出身で上海幇の「李克強」を推す勢力も強く、葛藤があったが、結局、上海幇の江沢民や、共青団系最長老の宋平らの強力な後ろ盾で、2010年10月の中全会で、党中央軍事委員会副主席に選出され、胡の後継者としての地位を確立した。

 2012年11月、胡錦濤・温家宝ら第4世代の指導者は引退し、第18期中全会において習近平は、党の最高職である中央委員会総書記と軍の統帥権を握る党中央軍事委員会主席に選出され、さらに翌2013年3月の全人代で国家主席に選出されると、国家主席・党総書記・軍事委員会主席と、国家・党・軍の三権を正式に掌握し、李克強を国務院総理(首相)に任命、中国共産党の第5世代である「習・李体制」を始動させた。

 2014年1月の党中央政治局会議において、新たに「中国共産党中央国家安全委員会」の設置と習の同委員会主席就任が決定された。この組織は国家安全に関する党の政策決定と調整を行い、国内治安対策も掌握する。そのため、党中央国家安全委員会は外交・安全保障・警察・情報部門を統合する巨大組織となり、同委員会主席を兼任した習にさらに一層、権力が集中することとなった。

  2017年10月の中国共産党第19回全国代表大会および第19期中全会では、次世代である第6世代から政治局常務委員を選ばず、より自らに権力が集中した2期目の習李体制を発足させ、党規約に「習近平思想」を明記させて、独裁色・個人崇拝色を露骨に示した。

 さらに2018年3月11日の全人代で、国家主席と国家副主席の任期制限を撤廃する憲法改正案を成立させ、「経済皇帝」と呼ばれる盟友の「王岐山」国家副主席とともに、任期は無制限となった「習・王終身体制」が事実上確立したと言われる。

 対外的には、2013年3月第12期全人代で、中華民族の5千年の歴史を強調し、かつてシルクロードを通じて西欧と接触をもった漢・唐・明の大帝国を彷彿とさせる、「一帯一路」政策を打ち出した。かつての中国の栄光を取り戻すという巨大な経済圏構想、「シルクロード経済ベルトと21世紀海洋シルクロード」は、当然ながら、軍事政治的支配も視野に入れた政策である。アメリカが世界的プレゼンスを縮小するなかで、習近平が推し進める中国の世界制覇は、ますます拡大しつつある。

(この年の出来事)
*2012.9.11/ 政府が尖閣諸島を国有化する。
*2012.12.2/ 中央道笹子トンネルで、天井板崩落事故が発生し9人が死亡する。
*2012.12.7/ 逗子ストーカー殺人事件が発生する。


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