2021年1月14日木曜日

【21C_h2 2001(h13)年】

【21th Century Chronicle 2001(h13)年】

◎キトラ古墳で「朱雀」壁画発見

*2001.4.3/ 奈良のキトラ古墳で「朱雀」の壁画が見つかる。


  キトラ古墳は7~8世紀初頭ごろの小さな円墳で、奈良県高市郡明日香村の南西部、藤原京の南に広がる古代の皇族・貴族などの墓域に所在し、名称の「キトラ」は「北浦」の転化といわれる。1983(s58)年11月、石室内の彩色壁画に玄武が発見された高松塚古墳に次いで、2例目となる大陸風壁画古墳として注目を集めた。

 1998(h1)年に青龍・白虎・天文図、そして2001(h13)年4月に、朱雀・十二支像が確認され、天の四方の方角を司るとされる四神のすべてが揃うことになった。四神を描いた壁画がある壁画古墳として高松塚古墳と対比されるが、唐の文化的影響が高松塚古墳ほどには強くなく、遣唐使が日本に帰国(704年)する以前の古墳であると考えられている。


 被葬者が誰かは未だ判然としていないが、年代などから天武天皇の皇子、もしくは側近の高官の可能性が高いと見られている。天武天皇の皇子の高市皇子説・右大臣の阿倍御主人説・百済から渡来した百済王昌成説などがあるが、決定的な遺物は見つかっていない。

 構造は二段築成の円墳で、内部構造は横口式石槨で天井は家形になっており、石槨は凝灰岩の切石で作られている。東西南北の四壁の中央に四神の青龍、白虎、朱雀、玄武の壁画が描かれていて、天井には北斗七星などの天文図が描かれている。


 1972(s47)年に極彩色の高松塚古墳壁画が発見されて以来の、明瞭な彩色の壁画の発見であり、 高松塚古墳より以前とされることで、古代の様子が壁画でうかがえる貴重な資料として一躍注目された。

 湿気のため石室内にカビが発生し壁画の変質が進行するため、壁画をはぎ取り保存する作業が行われ、現在は文化庁キトラ古墳壁画保存管理施設に保存され、地階には石室のレプリカ等の展示がある。


◎小泉純一郎内閣発足

*2001.4.26/ 第1次小泉純一郎内閣が発足する。

*2001.7.29/ 第19回参院選で与党が参院過半数を確保する。

*2001.8.13/ 小泉首相が靖国神社を参拝する。


 森喜朗首相の退陣を受けた2001(h13)年4月の自民党総裁選に、小泉純一郎は、橋本龍太郎・麻生太郎・亀井静香と共に出馬、最大派閥の元首相橋本龍太郎が有力視されたが、小泉は「自民党をぶっ壊す!」などと熱弁を振るい、閉塞状況に変化を期待する大衆の支持を得て、小泉旋風と呼ばれる現象を引き起こす。そして自民党内でも「選挙の顔」としての期待が高まり、圧倒的支持で自民党総裁に選出された。

 2001(h13)年4月26日、小泉純一郎は自民党はじめ公明党・保守党などの支持を受け、内閣総理大臣に指名された。小泉首相は、自公保連立政権として内閣を組閣、従来の派閥順送り型の人事を排し、閣僚・党人事を全て自分で決めて「官邸主導」と呼ばれる流れを作った。


 小泉内閣は「構造改革」を目玉スローガンに、道路関係四公団・石油公団・住宅金融公庫・交通営団など特殊法人の民営化など、小さな政府を目指す改革(官から民へ)と、国と地方の三位一体の改革(中央から地方へ)を含む「聖域なき構造改革」を打ち出し、なかでも「郵政三事業の民営化」を改革の本丸に位置付けた。

 発足時(2001年4月)の小泉内閣の内閣支持率は80%を超えるなど、戦後の内閣として歴代1位となり、こうした小泉人気に乗るかたちで、同年7月の参議院議員選挙で自民党は大勝した。また、長年行われていなかった靖国神社参拝を、総裁選の公約として8月13日に実行した。


 外交では、2001(h13)年9月11日の米同時多発テロの発生を受けて、米ジョージ・W・ブッシュ大統領の「テロとの戦い」を支持し、テロ対策特別措置法を成立させ、海上自衛隊を米軍らの後方支援に出動させた。また、2002(h14)年9月には電撃的に朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)を訪問、金正日国防委員長と初の日朝首脳会談を実現し、拉致被害者のうち5名を日本に帰国させることに成功した。

 2003(h15)年3月、ブッシュ大統領は、イラクのサダム・フセイン大統領が大量殺傷兵器を保有しているとして、アメリカ合衆国中心の有志連合でイラク侵攻を開始、フセイン政権を打倒した。小泉首相は日米同盟こそが外交の基軸として、いちはやくアメリカ支持を表明し、イラク戦後復興支援のための陸上自衛隊派遣を可能とする「イラク特措法」を成立させた。


 2003(h15)年9月の自民党総裁選で再選された小泉は、小泉再改造内閣発足させ、党人事で当選わずか3回の安倍晋三を幹事長に起用する異例の人事を行い、第1次内閣から民間起用されている竹中平蔵経済財政政策担当大臣が、金融担当大臣も兼任し、不良債権処理の強硬策など小泉政権の経済政策を主導することになる。

 2004(h16)年7月の参議院議員通常選挙を控えて、年金制度改革が争点となると、小泉内閣は参院選直前の6月に年金改革法を成立させたが、選挙では自民党が改選議席を割り、責任をとって安倍幹事長が辞任し、武部勤が後任となる。


 小泉純一郎は参院選を乗り切ったことで、長年の持論であった郵政民営化に本格的に乗り出し、2004(h16)年9月の第2次小泉改造内閣では、竹中平蔵を郵政民営化担当大臣に任命、基本方針を策定して、4月に開設した郵政民営化準備室を本格稼働させた。しかし2005(h17)年、小泉内閣提出の郵政民営化関連法案は、党内からも反対が続出して紛糾した。

 衆議院は強行可決したが、2005(h17)年8月8日の参議院本会議で否決されると、小泉は明言していた通り直ちに衆議院を解散し、総選挙に打って出た。小泉はこの解散を「郵政解散」と命名し、郵政民営化の賛否を問う選挙と位置付けると、反対派のすべてを「抵抗勢力」とするイメージ戦略に成功、選挙に圧勝する。このマスコミ報道をも巻き込んだ劇場型の選挙は、マスコミにより「小泉劇場」と呼ばれた。


◎大教大附属池田小学校事件

*2001.6.8/ 大阪の大阪教育大学附属池田小学校で、凶器をもって侵入した男が児童や教職員を殺傷する。

 

 2001(h13)年6月8日午前10時過ぎ、大阪教育大学附属池田小学校に凶器を持った男が侵入し、次々と同校の児童を襲った。男は、学校職員らに取り押さえられ、現行犯逮捕されたが、この事件で児童8名が殺害され、児童13名・教諭2名が傷害を負った。

 犯人は宅間守(37)で、兵庫県伊丹市に生まれ育ち、両親と兄の4人家族だった。幼少期から父親の暴力と虐待の下で育ち、母親も家事育児に不熱心で一種のネグレクト状態で育てられた。そのような環境が、彼の凶暴性を覚醒させ、責任を社会に転嫁する心性を成長させていったと考えられる。


 宅間は事件を起こした理由について、「エリートでインテリの子をたくさん殺せば、確実に死刑になると思った」などと供述して、殺された無関係な子供たちには何の関心も示さず、その後、殺人罪などで起訴された。

 逮捕当初、宅間は精神障害者を装う言動を取っていたが、2度の精神鑑定の結果、「妄想性などパーソナリティ障害はあるが、統合失調症ではない」とされ、責任能力を認める結果が出た。2003(h15)年8月、大阪地方裁判所は死刑判決を言い渡し、同年9月には宅間自ら控訴を取り下げ、死刑判決が確定した。


 宅間守は、1963(s38)年11月兵庫県伊丹市に生まれたが、幼少時代からたびたび問題行動を起こし、小学校では自分より強い児童にはいじめられるが、弱い児童に対しては徹底的にいじめるなど、小中学校を通して問題生徒であったという。

 小学生時代から自衛隊に強い関心を持ち、将来は自衛隊入ることを公言していた。尼崎市内の高校を中退したあと、18歳のとき念願の航空自衛隊に入隊するも、不祥事を起こし1年強で強制除隊させられている。


  除隊後、運送会社など幾つもの業種に就くが、ほとんど長続きしなかった。精神的にも荒れて、家族内暴力、傷害、暴行などの非行に走り、宅間は精神科を受診し統合失調症の診断を受けている。初犯の強姦事件では、懲役3年の実刑判決を下され奈良少年刑務所に服役した。その後も職を転々とし数々の暴行事件などを起こすも、初犯の強姦事件以外は、精神障害を理由に不起訴処分とされている。


 この事件をきっかけに、学校の安全対策が大きく見直されることになった。それまで小学校は、地域のコミュニティに重要な役割を担い、また校庭は子供たちの遊び場にもなっていた。そのような「地域に開かれた学校」から、事件後には安全対策重視の「閉ざされた学校」に方向転換することになった。そして、学校に監視カメラを設置したり、部外者の立ち入りを禁止したりする傾向が強まった。


◎9.11アメリカ同時多発テロ事件

*2001.9.11/ 米国で、同時多発ハイジャック・テロが発生する。


 2001(h13)年9月11日朝、アメリカ合衆国の国内便旅客機4機がほぼ同時に乗っ取られ、2機がニューヨークの超高層ビル、世界貿易センタービル(ワールド・トレード・センター WTC)の南北両棟に相次いで衝突、両棟とも炎上し崩壊した。ワシントン郊外の国防総省(ペンタゴン)にも1機が突っ込んで炎上。残る1機はピッツバーグ近郊に墜落した。米政府は、アフガニスタンに活動拠点を置くイスラム過激派指導者オサマ・ビンラディンの組織が犯行に関与していると表明した。

 ハイジャックされたのは、「AA11便(アメリカン航空11便)」「UA175便(ユナイテッド航空175便)」「AA77便」「UA93便」の4便で、ワールド・トレード・センターへの攻撃で用いられたAA11便とUA175便は、いずれもボストン発ロサンゼルス行のボーイング767-200であった。


 AA11便は8時46分にWTCツインタワー北棟に、UA175便は17分後の9時3分にツインタワー南棟に突入した。北棟のAA11便が水平に近い姿勢であったのに対し、南棟のUA175便は旋回途中の傾いた姿勢で突入したため、ビルの広い範囲が破壊され、よりダメージが大きかった。ジェット燃料により火災が起き、両棟とも重量を支えきれなくなり、南棟は9時59分、北棟は約30分遅れの10時28分に崩壊した。

 WTCは7つのビルからなっていたが、この崩壊に巻き込まれすべてのビルが破壊された。WTCビルへの攻撃では、ビルで働く人をはじめ、ビルを訪問中の人、ビルの倒壊に巻き込まれた人、救助活動中に死亡した警察・消防隊員、そして実行犯を含む航空機の乗員・乗客をふくめて、2600名以上が死亡した。


  ワシントン発ロサンゼルス行AA77便(ボーイング757-200)は、午前8時20分に出発したが、ハイジャックされると進路を強制変更され、9時38分、バージニア州アーリントンにあるアメリカ国防総省本庁舎(ペンタゴン)の1階部分に、地面すれすれで水平に激突し爆発炎上した。

 当初WTCへの攻撃で混乱していたため、爆破テロであるという報道もされたが、航空機が突入した目撃者からの情報で、同時的なテロの一環であることが判明した。突入時、ペンタゴンでは約1万8,000人が働いていたが、奇しくもテロに備えた補強工事を行なっていたため、一部のオフィスには人がおらず、死亡者は253名にとどまった。


 ニューアーク発サンフランシスコ行きUA93便(ボーイング757-200)は、午前8時42分、滑走路の混雑で30分遅延して出発した。乗客の機内電話からの通報で、午前9時27分にハイジャックされ、コックピットを乗っ取られたことが地上に伝えられた。さらにワシントンD.C.へ向かうことが管制官に通告され、標的はアメリカ合衆国議会議事堂かホワイトハウスであったと推測されている。

 WTCの攻撃などを知った乗客たちは、ハイジャックの目的を自爆テロと認識し、飛行機の奪還に乗り出したとされる。乗客たちは「Let's Roll.(さあやろうぜ)」を合図に反撃に出たと言われているが、コックピット内に進入できたかどうかは不明で、10時03分、UA93便は490ノット(時速907km)の速度でペンシルベニア州ピッツバーグ郊外シャンクスヴィルに墜落した。乗員乗客44名は全員が死亡したが、政府中枢への攻撃を免れた乗員乗客の勇敢な行動は、のちに映画「ユナイテッド93(2006年)」で描かれた。


 この事件を契機に、イスラム世界を主体とした国際テロ組織の脅威が認識されるようになり、アメリカは「テロとのグローバル戦争」(GWOT: Global War on Terrorism)という標語を掲げ、アルカイダやアルカイダを支援する国への報復を宣言し、アフガニスタン紛争、イラク戦争を展開した。

 しかし、これらの戦争によって不安定化した中東では、さらにシリア内戦やISIL等のイスラム過激派の台頭をうみだし、また、国際的にもイスラム原理主義が活発化し、さらなる混乱を招くことになった。

 

(この年の出来事)

*2001.2.10/ アメリカ・ハワイ州のオアフ島沖で、宇和島水産高等学校の実習船「えひめ丸」と米原潜が衝突し、9人が死亡する。

*2001.7.21/ 兵庫県明石市の花火大会で、歩道橋上での群集事故が発生し11人が死亡する。

*2001.10.29/ テロ特措法が成立し、自衛隊の後方支援可能になる。


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