2020年12月25日金曜日

【20C_s6 1981(s56)年】

【20th Century Chronicle 1981(s56)年】


◎パリ人肉食事件

*1981.6.15/ パリで、日本人留学生が、オランダ人女子留学生を殺害して食べたとして現地の警察に逮捕される。


 フランスのパリに留学中の佐川一政(32)が、自室を訪れたオランダ人女性留学生(25)を射殺、屍姦し遺体の一部を食べるという猟奇事件が発生した。佐川は犯行を認めたが、フランスでの裁判では心身喪失であったとして不起訴処分、フランス内の精神病院に処置入院された。その後帰国して日本国内の精神病院に1年間入院後、退院する。

 日本の病院での診断では、精神病ではなく人格障害であり、刑事責任を問われるべきとされた。しかしフランス警察が、不起訴処分案件の捜査資料の引渡しを拒否したため、日本での起訴も見送られた。社会復帰後、マスコミに有名人扱いされしばしば登場、のちの宮崎勤事件が起ると猟奇犯罪の専門家扱いでマスコミにもてはやされ、さらに自著を出版するなど、世間からの批判を無視して活動した。


 一政は、優良会社の役員・社長を務めた父親をもち、有名歌手が叔父にいるなど、めぐまれた家庭に育った。出生時には極端な未熟児だったが、虚弱ながらも無事に育った。虚弱体質のうえ内向的な性格も相まって、文学・芸術に傾倒し文学研究者への道を歩んだ。他方で、小学生のころ人肉食のむかし物語に異常な興味をもったり、大学生時代にはドイツ人女性宅に押し入るなど、のちの事件を予想させるような異常性をも示していた。

 人肉食はカニバリズムという言葉もあるように、古くから認識されてきた行為である。緊急事態下での人肉食は古来から多数報告されている。近年でも、日本での「ひかりごけ事件」や南米アンデス山中での「ウルグアイ空軍機遭難事故」など、事故での特殊状況下での事件がある。あるいは、一部の部族に残される社会習慣的な人肉食もあるが、これらは狭義のカニバリズムからは別枠で扱い、この佐川事件で焦点になるのは「人肉嗜食」である。

 「人肉嗜食」は個人的な嗜好による人肉食であり、猟奇殺人に伴う死体損壊を伴って現れることが多い。文化社会的には「タブー」を犯す行為であり、それゆえにそれを扱った文学・芸術は多く見られるテーマでもあり、また都市伝説などにもよく登場する。実話に近いらしいが、佐川くんが参加した会食で、彼が「この肉はうまい」とつぶやくと、一瞬まわりが凍りつくという、そのまま都市伝説になりそうな話しも多くある。


◎深川通り魔殺人事件 

*1981.6.17/ 東京深川の商店街で、包丁を持った男が通りすがりの母子ら4人を刺し殺す。


 東京深川の商店街路上で、無職の川俣軍司(29)が通りすがりの主婦や児童らを包丁で刺し、4人が死亡、2人が怪我を負う事件を起した。川俣は傷害事件などで7回に及ぶ逮捕歴があり、覚醒剤を常用していたとされ、本人は否定するも覚醒剤が検出された。公判では、覚醒剤中毒による心神耗弱状態と判断されたが、刑事責任能力は問えるとして無期懲役の判決となった。


 下半身下着姿で口に猿ぐつわという拘束されたときの映像は、テレビなどでも流され記憶している人は多いと思われる。覚醒剤中毒による幻視幻聴妄想による犯罪の恐ろしさ、通り魔という理不尽な犯行にあった被害者の無念さ、それらを一枚に凝縮した映像として、観る人に印象付けられたことであろう。


◎三和銀行オンライン詐欺事件 

*1981.9.5/ 大阪府茨木市の三和銀行茨木支店の女子行員が、オンラインシステムを操作して、1億3,000万円を搾取していたことが判明する。(三和銀行オンライン詐欺事件)


 1981(s56)年3月25日、大阪府茨木市の三和銀行(三菱UFJ銀行)茨木支店に勤務していた女性行員伊藤素子(32)が、3月25日という給料振込み日と年度末決算が重なって錯綜している日を選び、オンラインシステムを使って自分が作った架空口座に送金、計1億3,000万円を搾取した。詐取した女性行員伊藤は、その全額を都内で実業家の愛人南敏之に渡し、うちの現金500万円だけを持ち、南の指示でフィリピンの首都マニラへ逃亡した。しかし南は伊藤のあとを追ってマニラに行くどころか、渡された大金を使って日本で家族と豪遊していたという。


 1981(s56)年9月5日、この巨額横領の事実が新聞各社で報道された事で、この事件がようやく世間の目に触れることとなった。伊藤素子はフィリピンのマニラに逃亡潜伏していたが、9月8日、マニラ当局により拘束され日本へ送還された。既婚を偽って愛人となった南敏之に、そそのかされて犯行に及んだという経緯が詳細に報道されると、だました愛人の南敏之(35)が悪、伊藤素子が逆に善とされるような流れが出来て、面白おかしくマスコミは書きたてた。

 拘束された現地でのインタビューや送還時の映像が流され、その清楚系美人に見える姿写真や「好きな人のためにやりました」という言葉が人口に膾炙し、ファンレターが来るほどだったという。伊藤素子は自称青年実業家だという南敏之に惚れこみ、自分がこつこつ貯めた預金をすべて貢ぎ、さらに示唆されて犯行に及んだという。しかもその金はほとんど男の借金の返済に注ぎ込まれていた。


 伊藤素子は、教師の父や茶華道を教える母という安定した家庭に育ち、「星の王子様」を夢見るロマンチスト、というよりウブな思春期をおくり、金銭にも男性にも潔癖な性分であったという。初めて男性と関係をもったのが20歳で、相手は既婚者であることがあとで判明、それでも相手を信じて12年も交際を続けたという。

 そんなところに現れたのが、青年実業家という南敏之、その見栄えにすっかり虜になってしまう。金にも男にも潔癖な性分は、一旦タガが外れると止めどもなく崩れ出してしまう。結局、金と男に欺かれ続けた半生だと言えるだろう。公判では、女性行員に懲役2年6月、愛人南敏之には主犯として懲役5年の実刑判決が言い渡された。女は模範囚だったため2年で仮出所、その後、この事件を熟知している一般男性と結婚したという。そのまま平穏な家庭生活を送っているとすれば、唯一ほっとできる話題であろうか。


 この8年前の1973(s48)年にも、「滋賀銀行9億円横領事件」というのが起こっている。滋賀銀行山科支店のベテラン行員奥村彰子(42)による犯行で、史上空前の9億円の金を着服、10歳年下の元タクシー運転手山県元次(32)に貢いでいたというもの。これも同様に、男縁の薄かった女が、でたらめな男にほだされて貢いだというものだった。


◎蜂の一刺発言

*1981.10.28/ ロッキード裁判丸紅ルート公判で、榎本敏夫被告の前夫人が、「榎本が5億円の受領を認める発言をした」と証言する。(蜂の一刺発言)


 ロッキード事件の公判中、総理大臣 田中角栄がロッキード社から賄賂を貰ったとする疑義で、当時の首相秘書官だった榎本敏夫夫人の三恵子が裁判の証人として立ち、「榎本が5億円の受領を認める発言をしていた」と証言。この証言が裁判の行方を決定づけた。榎本三恵子は自身の証言を「蜂の一刺し」に例えたため、これが流行語となった(ちなみに一刺しで死ぬのは蜜蜂とかだけ)。


 事件としてはここまでで終わりなのだが、この人の場合は「その後」を賑わせた。テレビ「オレたちひょうきん族」に蜂の着ぐるみを着て「ハチの三恵子」として登場、安岡力也扮するホタテマンと絡みを演じたり、熟年ヌードグラビアに登場したり、その後表面からは姿を消したが、実業家と結婚、離婚するやら、下着の有能な訪販販売員として活動するなど、じっとはしてない人だったようだ。


 夫の首相秘書官は有罪判決を受けたが、そもそもこのような場違いな人と結婚したことが間違いとも言える。もっとも、ホステスをやっているところを見初めて、後妻として結婚したとかで、それなりの理由もあったのであろうか。その後の雌蜂の行方は誰も知らない…。


(この年の出来事)

*1981.3.20/ 神戸ポートアイランド博覧会(ポートピア'81)が開幕する。(~9.15)

*1981.10.19/ フロンティア電子理論により、福井健一のノーベル化学賞が決定する。

*1981.12.13/ 自主管理労組「連帯」の運動拡大に対して、ヤルゼルスキ首相がポーランド全土に戒厳令を布告する。


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