2020年8月23日日曜日

【19C_m3 1892(m25)年】

 【19th Century Chronicle 1892(m25)年】


◎出口なお/大本教開教

*1892.2.3/ 京都綾部で、「出口なお」が大本教を開教する。


 「大本教」は、1892(明25)年に、教祖「出口なお」が神懸りして京都府綾部で開教し、"なお"の娘婿「出口王仁三郎」が教理を体系化した。世の立てかえ・立て直しを唱え、理想世界「みろくの世」の実現を説いた。一般には「大本教」と呼称されるが、本来は“教”を付けず「大本」とされる。大本の発祥の地、京都綾部市には「梅松苑(大本本部 綾部祭祀センター)」が設置され、同じく亀岡市の亀山城址には「天恩郷(大本本部 亀岡宣教センター)」が置かれ、二大聖地とされている。

 1892(明25)年2月3日、56歳の出口なおに「艮(うしとら)の金神」と名乗る神が憑る。このなおに帰神した艮の金神こそ、この世界を創造した国常立尊であるとされ、この日を開教の日と定めた。1898(明31)年、出口なおと出口王仁三郎が出会い、教団組織を作ることになる。王仁三郎は、出口なおの娘婿として養子となり、教団を理論化組織化し、やがて戦前の日本において、有数の巨大教団へと発展する。


 大本では大天主太神(おおもとすめおおみかみ)を祀り、これがすべて宇宙の根源であり、一切を統一する大神であるとする。この神は、古事記では天之御中主大神と称せられ、他宗教では阿弥陀如来、ゴッド、アラーなどと呼ばれているものと同じ神であるとされた。

 当初、神懸りした"なお"の奇行に、周囲は狐狸が憑いたなどとして奇異の目で眺めたが、そのうち誤解で座敷牢に閉じ込められたとき、突然、文盲のはずの"なお"が、神の言葉を綴り始めた。これが後年「御筆先(おふでさき)」と呼ばれるようになり、"なお"は仮名で、何枚もの自動書記による終末論的黙示録風の御筆先を書き続けた。


 宗教性に没頭する出口なおに対して、神道の知識が深く合理的な出口王仁三郎は対照的な性格で、両人は深く結びつくとともに対立も生じた。王仁三郎が一旦綾部を離れることもあったが、再び復帰すると、教団経営は王仁三郎にまかされ、"なお"は神事や御筆先に専念して、信者は大幅に増加した。

 1918(大7)年11月5日、"なお"が世を去ると、王仁三郎は"なお"のお筆先を編集した「大本神諭」をまとめ上げ、自身の口述した「霊界物語」とともに二大教典として、教義を確立し信者に浸透させた。"なお"の神の啓示に基づいた終末論・社会批判・黙示録的予言は、一種の革命思想的性格を持ち、広まるにしたがって、軍国主義を推進する政府当局に警戒されるようになる。


 1921(大10)年と1935(昭10)年の2度にわたって、大本教は「不敬罪」や「治安維持法」の適用で、徹底的な大弾圧を受けて壊滅された。教団聖地を瓦礫の山となし、1,000名もの信徒を検挙し、キリスト教異端審問にも例えられる拷問を加えたヒステリックな弾圧は、未だその本質は解明されていない。


◎黒岩涙香/「萬朝報」を創刊

*1892.11.1/ 黒岩涙香が、日刊新聞「萬朝報(万朝報)」を創刊する。


 1892(明25)年11月1日、黒岩涙香は朝報社をつくり、日刊新聞「萬朝報(よろずちょうほう)」を創刊した。「簡単・明瞭・痛快」をモットーとし、低価格による販売で徹底した娯楽路線を押しすすめ、低所得労働者ら大衆読者を獲得していった。権力者のスキャンダルを暴くゴシップ報道で人気を博し、天皇皇族を除けば、華族や政治権力者から官吏・一般商店主に至るまで、妾の実名年齢さえも曝すなど、今では考えられないプライバシーの暴露満載記事だった。

 黒岩自身が翻案小説を連載し、今日でも「鉄仮面」「巌窟王」「噫無情」等といったタイトルは、原題以上に知られている。さらに、家庭欄では「百人一首かるた」や「連珠(五目並べ)」を流行らせたり、一方では英文欄を創設するなどユニークなアイデアで大衆の心をつかみ、発行部数で東京中第1位に達した。


 一時期、淡紅色の用紙を用いたため「赤新聞」と呼ばれ、低級な興味本位の新聞の代名詞ともなった。いわゆるイエロー・ジャーナリズムに近いが、他方で社会不正義の告発や、新聞独自の主義主張を掲載するという一般高級紙の特徴も併せ持っていた。また第三面では、扇情的な社会記事を集中して取り上げたため、「三面記事」という新聞用語も生んだ。

 ゴシップ娯楽路線が大衆に飽きられてくると、涙香は幸徳秋水、堺利彦、内村鑑三らのインテリに参画を求めた。1901(明34)年には「理想団」を結成し、労働問題や女性問題を論じたり、社会主義思想に由来する社会改良を謳って、日清戦争時の世論形成をリードした。


 しかしその後、「二六新報」というライバル紙と激しい販売競争を展開し、日露戦争開戦に際しては、世間大衆の動向におもねり、当初の非戦論から主戦論に転じた。このため、非戦を堅持する幸徳秋水、堺利彦、内村鑑三が退社し、幸徳と堺は社会主義にそった「平民新聞」を創刊した。これを機に朝報社は次第に社業が傾き、涙香の死とともに凋落していく。


 黒岩涙香は今日、ジャーナリストというより、西洋著名小説を翻案して紹介した小説家として有名かもしれない。ざっと挙げてみると、

・月世界旅行(ジュール・ヴェルヌ/ Le Voyage dans la lune 月世界旅行)

・鉄仮面(フォルチュネ・デュ・ボアゴベイ/ Les Deux Merles de M. de Saint-ars サン・マール氏の二羽のつぐみ)

・白髪鬼(マリー・コレリ/ Vendetta, A Story of One Forgotten 復讐)

・巌窟王(アレクサンドル・デュマ・ペール/ Le Comte de Monte-Cristo モンテ・クリスト伯)

・噫(ああ)無情(ヴィクトル・ユーゴー Les Les Misérables レ・ミゼラブル)

・八十万年後の社会(H・G・ウェルズ/ The Time Machine タイム・マシン)


 「巌窟王」のモンテ・クリスト伯エドモン・ダンテスが「団友太郎」、「噫無情」では「戎瓦戎」と書いて"ぢやんばるぢやん"と読ませるなど、その登場人物の名前を見るだけでも楽しい。当時、翻訳小説というと一部インテリの専有であった時代に、ユニークな日本の物語に置き換えて大衆の娯楽読み物とした点で、黒岩涙香の果たした役割は大きいであろう。


(この年の出来事)

*1892.2.15/ 第2回臨時衆議院議員選挙が行われる。政府による大干渉にもかかわらず、民党の勝利に終わる。

*1892.6.4/ 琵琶湖疎水を利用した、京都市営蹴上発電所が開業する。

*1892.8.8/ 第2次伊藤内閣が発足する。閣僚に山県有朋、黒田清隆、井上馨、大山巌らの元勲が連なり、「元勲内閣」と呼ばれる。

*1892.11.30/ 軍艦千島が、愛媛県沖でイギリス船と衝突・沈没し、乗組員74名が死亡する。


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