2020年7月27日月曜日

【19C_3 1865年】

【19th Century Chronicle 1865年】

◎第2次長州征伐と薩長連合(1865年/慶応元年)
*1865.1.2/ 高杉晋作ら急進派が挙兵し、下関を占拠する。
*1865.1.15/ 幕府が、長州藩主毛利敬親父子の服罪により、長州征伐の中止を布告する。
*1865.3.15/ 長州藩が奇兵隊など民兵諸隊を再編成し、軍制改革を行う。
*1865.3.17/ 長州藩主毛利敬親が保守派を退け、討幕を藩論とする。
*1865.6.24/ 薩摩藩士西郷隆盛と土佐藩浪士坂本龍馬・中岡慎太郎が会見し、長州藩の要請で武器購入を約束する。(薩長同盟への第一歩)
*1865.7.21/ 長州藩士井上馨・伊藤博文が、薩摩藩の斡旋により、イギリス商人グラバーから鉄砲を購入する。
*1865.9.16/ 英米仏蘭4国が軍艦を兵庫沖に集結し、兵庫ほかの開港をせまる。
*1865.9.21/ 将軍家茂が参内し、長州征伐を奏上し、勅許を得る。
*1865.10.-/ 西郷隆盛が、長州征伐阻止のため、兵を率いて上洛する。
*1865.11.7/ 幕府が、長州出兵を命じる。

 長州藩では、元治の内乱で実権を奪取した高杉晋作ら急進尊皇派は、奇兵隊など民兵諸隊を再編成し、軍制改革を行うなど、藩の軍事力を高めた。下関戦争などの敗戦から、もはや攘夷は無理だと見極めた長州藩では、桂小五郎(木戸孝允)らが藩政を主導し、藩主毛利敬親をも促して、尊王討幕を藩論とするようになった。

 禁門の変で長州藩兵を打ち払った薩摩藩は、第1次長州征伐で西郷隆盛が征長軍参謀に任命されると、恭順を示す長州に対して強硬処置を望む江戸の幕閣に対して、より緩和な処置に動いた。公武合体が藩論の薩摩藩であったが、西郷・大久保らは、薩英戦争の経験から攘夷は不可能と認識、また幕府の無能ぶりに討幕もしかたないと考えつつあった。


 この間、土佐藩浪士中岡慎太郎と坂本龍馬が、薩長の調停に乗り出した。西郷隆盛に薩長の協力と和親の必要を説き、下関で桂小五郎(木戸孝允)と会う場を設定したが、これは西郷の都合でかなわなかった。しかし、慶応元(1865)年6月24日、西郷は京都で坂本龍馬と会い、長州が欲している武器・艦船の購入を薩摩名義で行うことを約束した。そしてさらに翌慶応2(1866)年1月、京都の小松帯刀邸にて、坂本龍馬立ち合いの下、西郷隆盛と木戸孝允が会談し、両者の間で薩長同盟が成立する。

 一方、慶応元(1865)年9月、英米仏蘭4国の軍艦が兵庫沖に集結し、安政5ヵ国条約の勅許と兵庫の開港をせまるという事態が起こっていた。禁裏御守衛総督として在京し独自の動きを目指す一橋慶喜は、何一つ対応できない江戸の幕府に代わって、勅許を得るのに奔走した。京都に近い兵庫開港は、孝明天皇が頑強に反対したためかなわなかったが、5ヵ国条約の勅許を得るのに成功し、慶喜の信望は高まり、畿内に長期滞留して、京都で江戸から距離を置いた独自の権力基盤を築いていった。


 条約勅許の騒動が一段落すると、幕府は第2次長州征伐に取り掛かる。11月7日、幕府は31藩に長州征伐の出兵の令を発した。その間にも幕府側と長州側の代表が広島で会談をするが、長州側はのらりくらりと返答を遅らし、結局幕府と長州の談判は決裂する。翌 慶応2(1866)年1月22日、幕府は長州処分の最終案を奏上し、勅許が下された。

 しかしながら、幕府の意に反して諸藩の足並みは揃わず、密かに薩長同盟を結んでいた薩摩藩は出兵の拒否を申し出ている。やっとのことで、慶応2(1866)年6月7日、幕府側の周防大島への砲撃が始まり、順次、各方面でも戦端が開かれる。一致団結して防衛に当たる数千の長州勢に対して、幕府方からは15万もの大軍が集められたが、寄せ集めの諸藩軍には戦意乏しく、各方面で長州勢に打ち負かされる。


 その最中の慶応2(1866)年7月20日、将軍家茂が大坂城で薨去する。一橋慶喜は朝廷から休戦の詔勅を引き出し、一部の反対を押し切って休戦協定を締結した。かくして第2次長州征伐は無残な失敗に終わり、幕府の権威は完全に失墜した。


(この時期の出来事)
*1865.3.22/ 薩摩藩士 五代友厚・寺島宗徳・森有礼ら19人が、イギリス留学のために長崎を出発する。
*1865.5.-/ 土佐藩浪士坂本龍馬が亀山社中(のち海援隊)を長崎で結成する。
*1865.閏5.11/ 土佐藩が、尊攘派武市瑞山らを処刑する。
*1865.8.24/ 幕府直営の横浜製鉄所が完成する。(初の近代工場)
*1865.9.27/ 横須賀製鉄所の起工式が行われる。
*1865.10.1/ 将軍家茂が、4国との条約締結と兵庫開港を願い出る。2日には、将軍職の辞表を提出する。
*1865.10.5/ 孝明天皇は、条約を勅許し、兵庫開港は不許可の決定を下す。

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