◎第5代執権「北条時頼」
*1246.3.23/ 北条経時が病のため、執権職を弟「北条時頼」に譲る。
*1246.5.24/ 名越(北条)光時が、前将軍藤原(九条)頼経などと連携、北条時頼打倒をはかるも、時頼に機先を制され失敗に終わる。(宮騒動)
*1246.10.13/ 北条時頼が、西園寺実氏を関東申次に推し、藤原氏主流の九条家は宮中政治での地位を失墜する。
*1247.6.5/ 北条時頼が、三浦泰村とその一族を滅ぼす。(宝治合戦)
*1252.2.20/ 幕府は九条頼嗣将軍を廃し、宗尊親王を将軍に迎えることを、後嵯峨上皇に奏上する。
*1256.11.23/ 北条時頼が、執権を長時に譲り、最明寺で出家する。
*1257.12.24/ 幕府は将軍護衛役の廂衆を置き、将軍監視をも兼ねさせる。

時頼は嫡流でなくて継承したので、必ずしも安定した立場ではなかった。経時の死を契機に、前将軍 藤原(九条)頼経を始めとした反北条勢力が勢いを増し、北条氏の一族の名越光時が時頼打倒を図るも、未然に阻止される(宮騒動)。



時頼は南宋の僧侶 蘭渓道隆を鎌倉に招いて、建長寺を建立し、また曹洞宗を開いた道元を鎌倉に招くなど、宗教心に篤く、質素かつ堅実で、御家人や民衆に対して善政を敷いたとされる。弘長3(1263)年、時頼は病状が悪化し死去する。享年37。
(この時期の出来事)
*1253.4.28/ 僧日蓮が、安房清澄寺で日蓮宗を開く。
*1253.8.28/ 僧道元(54)没。死まで「正法眼蔵」を書き続ける。
*1253.11.25/ 北条時頼が建長寺を建立し、盛大に落慶供養を行う。
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