◎歌物語の成立
*957.-.-/ 歌物語「大和物語」ができる。
*961.-.-/ この頃「伊勢物語」が成立する。
「歌物語」とは、和歌にまつわる説話を集成した物語文学の総称で、和歌にまつわる恋物語や、死別や不遇を嘆く物語など、やはり情感を動かす物語が多くみられる。「古今和歌集」などで、和歌の簡略な解説として添えられる「詞書」が、より詳しく発展したものと考えられる。

「伊勢物語」は、900年ごろからその原型となるものが存在したようだが、その後にも順次書き替えや追加が行われ、このころ現存の形のものが成立したと考えられる。そのため作者は特定されず、何人かが付け加えたりして関わったとされている。




中世以降でも、能の「井筒」や「雲林院」などの典拠となり、近世以降では、「仁勢物語」などのパロディ作品の元となり、井原西鶴の「好色一代男」も、源氏物語を経てではあれ、伊勢物語のパロディともみなせる。さらに人形浄瑠璃や歌舞伎の世界でも、伊勢物語から題材をひいたものが多くみられる。
《絵巻物で読む 伊勢物語》 https://ise-monogatari.hix05.com/
<大和物語>

登場する人物たちは、実名・官名・女房名などで示され、固有の人物を指していることが多い。亭子院として登場する宇多天皇をはじめ、その周辺の貴族など歴史の表舞台の登場人物も多く登場する。

前半は物語成立に近い時期に詠まれた歌を核に、皇族貴族たちがその由来を語る歌語りであり、後半からは、悲恋・離別・再会など人の出会いと別れの歌を通して、古い民間伝説などの説話が綴られる。


141段「ふたり来し路」(末尾のみ抜粋)
大和掾という男は、妻のほかに筑紫出身の女を妾にして同居させていたが、男は心変りして妾とは別れることになり、妾は故郷の筑紫へ帰ることになった。男と本妻とともに山崎の渡しまで出て筑紫の女を見送る。
これもかれも、いと悲しと思ふほどに、船に乗りたまひぬる人の文をなむ持て来たる。かくのみなむありける。

ふたり来し 道とも見えぬ 波のうへを
思ひかけでも かへすめるかな
(二人で来た道も見えない波の上を 寄せた波が返すみたいに
もう思われなくなってしまった わたしは帰って行くのです)
と言へりければ、男も、もとの妻も、いといたうあはれがり泣きけり。
《『大和物語』―古文と解説、朗読》
https://mukei-r.net/kobun-yamato.htm
(この時期の出来事)
*941.5.20/ 南海追捕使小野好古が、博多津で藤原純友の軍を破る。
*941.6.20/ 逃亡していた藤原純友が、伊予の日振島で殺される。(藤原純友の乱終焉)
*947.6.9/ 菅原道真の祠を京都北野に建てる。(北野天神社の起源)
*960.9.23/ 平安京造営後、初めて内裏が消失する。
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