2021年1月19日火曜日

【21C_h2 2006(h18)年】

【21th Century Chronicle 2006(h18)年】


◎ライブドア事件

*2006.1.23/ ライブドア 堀江貴文社長らが逮捕される。


 2006(h18)年1月23日、東京地検により、証券取引法違反の疑いで堀江貴文社長、財務担当取締役宮内亮治など4名が逮捕された。さらに3月13日、証券取引等監視委員会は、2004(h16)年9月期連結決算を粉飾した疑いで、堀江ら5名と法人としてのライブドアを、証券取引法違反(有価証券報告書の虚偽記載)容疑で東京地検特捜部に告発した。

 従来の粉飾決算事件は企業が経営破綻してから捜査されるのが普通だが、ライブドア事件の場合は、現状では破綻していない会社が捜査を始められたという特異性がある。証券取引等監視委員会の告発を受け、東京証券取引所はライブドア株およびライブドアマーケティング株の上場廃止を決定したため、通常では破綻状態ではないライブドアは、一気に崩壊に向かった。


 またライブドアの約50億円の粉飾額は、金額だけをみると過去の粉飾事件と比べて少ない方であり、同時期の日興コーディアル証券189億円やカネボウ2,150億円などに比べて小さい粉飾額であるにもかかわらず、ライブドア事件だけが実刑になったのは、バランスを欠いた判決だという指摘もある。

 従来の東京地検特捜部は、政界の汚職捜査に重点を置いてきたが、従来型の政界捜査が行き詰まりをみせるなか、バブル崩壊後の経済・金融の規制緩和のもとでの経済犯罪や金融・証券犯罪が重視されるようになり、特捜部もこれら金融・経済犯罪の摘発に比重を移しつつあった.


  ライブドア摘発の背景には、株式市場のシステムを利用して次々と企業買収を繰り返し、それにより政治や経済までを牛耳ろうとする同社や堀江貴文の姿勢に対する批判があり、その手法に脅威を感じた政財界が、あらゆる旧来の手法を動員して防衛しようとする泥仕合があった。

 ライブドアに買収されそうになったフジテレビでは、企業防衛の対策チームを設置し、あらゆるライブドアの違法行為をみつけ出して検察に通告するという、マスメディア企業には馴染まない、なりふり構わない対策をとったともいう。


 堀江貴文は、2000年東証マザーズに上場すると、2002年には旧ライブドア社から営業権を取得してライブドアへ社名を変更した。そして2004年には、近鉄バファローズ買収でプロ野球に進出を目指し、2005年にはニッポン放送の株を取得し、その子会社であったフジテレビジョンに影響力を及ぼそうとした。

 さらに2005年8月の総選挙では、公認は得られなかったが、事実上自民党の支援を受けて衆議院選挙に立候補して話題になるなど、政財界の守旧派に鋭く切り込む改革の旗手というイメージで、ネットを中心として若者たちの支持を受けた。


 しかし、周辺への根回しなど一切せず、金融テクニックを駆使して拡大させた資金を活用し、いきなり敵対的に企業買収などを進める手法は、旧来からの政財界に脅威を与えるとともに、本気で防衛に乗り出させることになった。

 当初の球団買収の時などは新興ITベンチャーの挑戦と、面白おかしく取り上げていたマスコミも、特捜部が動き出したと噂されだすと、ライブドア叩きの過熱報道を展開し、財界も、経団連がライブドアの入会を認めたのをミスとするなど、フジテレビ支配にまで乗り出したライブドアに警戒心を強めた。

 旧来の政財界の改革の旗手として派手に登場したライブドアも、元来のITベンチャー企業の枠組みからはみ出して、金融テクニックを駆使して、証券取引の隙をつくような企業買収で拡大を続けたため、ライブドアは事実上解体され、堀江貴文は虚業家という烙印を押されて、証券取引法違反で逮捕され実刑となった。


◎普天間基地移設問題

*2006.5.1/ 日米両政府が普天間基地を名護市沿岸に移設で合意する。


 太平洋戦争末期、連合国軍が上陸し日本本土で戦われた地上戦は「沖縄戦」のみであり、約20万の沖縄住民のおよそ半数が犠牲になったとされる。日米戦争で最も悲惨な戦闘地域となった沖縄は、敗戦後日本本土の一部として連合国軍の占領下におかれた。やがて1952(s27)年のサンフランシスコ講和条約で、日本の主権回復は認められたが、沖縄だけは引き続きアメリカ軍の管理下に置かれ、沖縄各地にアメリカ軍基地・施設が建設された。

 ソ連との冷戦対立が始まり、さらに中華人民共和国(中共)が成立し、また、朝鮮戦争が起きると、沖縄はアジア太平洋地域の重要な防衛拠点となり、沖縄人民の家や土地が強制収容され、米軍基地の建設が進められ、沖縄には日本全体のアメリカ軍用施設の約70%が集中し、沖縄本島の約15%を占めることになった。


 沖縄は、1952年の日本主権回復後もアメリカの統治下におかれ、1972(s47)年にやっと沖縄県として日本に復帰した。しかし日本に返還後も、沖縄の基地としての重要性は変わらず、日米安全保障条約に基づいて、ほとんどの米軍基地が継続して沖縄に置かれ続けた。多くの基地があることで、さまざまな問題や事件が起こり、沖縄県民や日本政府は、米軍基地を可能なかぎり減らしていくことを、アメリカ政府に求めてきたが、基地の返還は遅々として進まなかった。

 なかでも宜野湾市の普天間基地は、基地の周りに住宅地が密集し世界でもっとも危険な飛行場と言われてきた。1995(h7)年には沖縄米兵少女暴行事件、2004(h16)年に沖縄国際大学への米軍ヘリ墜落事件が起きるなどして、そのつど普天間基地の返還要求運動が高まった。


 日本政府と米国政府の間では、普天間基地の移設と返還の交渉が始められて、その間にもいろいろな移設候補地が検討され、工法と建設の是非を巡っても様々な議論がなされ続けた。同時期には、アメリカ軍が世界規模の軍再編を実施中であり、日米政府はこれに普天間移設を絡めて、基地の移設のみならず、沖縄本島に駐留する海兵隊の削減をも要望した。

 2006(h18)年5月、日米両政府の間で、普天間基地を名護市沿岸に移設することで合意が成立した。合意では、アメリカ軍普天間基地を名護市のキャンプ・シュワブ沿岸地域に移設し、2本の滑走路をV字型に配置することとし、沖縄の海兵隊員8,000人とその家族9,000人をグアムに移転し、日本側が6,800億円を負担することなどが盛り込まれた。


 しかし2009(h21)年、民主党を中心とした連立政権が成立、民主党代表鳩山由紀夫が内閣を組織すると、鳩山首相は、合意された移設案を白紙に戻し、「最低でも県外」と発言するなどして、移転構想を迷走させることになる。しかし、県外移設は不可能との結論に達し、再度辺野古のキャンプ・シュワブへの移設で決着がついた形となった。

 2006年から沖縄県知事を続ける仲井真弘多は、2013年、第2次安倍政権と交渉の上、沖縄振興策と引き換えに辺野古移設を承認したが、2014年に移設反対派の翁長雄志県知事が当選すると、翌2015年10月、前知事の辺野古埋め立て承認を取り消した。2018年翁長雄志知事の死去に伴う県知事選挙で就任した玉城デニー知事も、普天間飛行場移設反対と無条件返還を掲げ、辺野古移設工事が始められたものの、さまざまな反対運動を展開している。


 もともと人が住んでないところに基地を作ったのが、のちに周辺に住民が住み着いて危険な基地となったのだという説に対して、激戦地で住民が避難移動していたのが、戦争が終わって元々の土地に戻って来たのだとか、さまざまな政治的立場からの議論があるが、現状がそうなっているという事実がある限り、早急に解消する必要があるわけで、政治的なイデオロギー対立から、付近住民を危険にさらし続けるのは許されない。


◎iPS細胞

*2006.8.11/ 京都大学の山中伸弥教授らが、iPS細胞を作り出すことに成功する。


 2006(h18)年8月、京都大学の山中伸弥教授のグループが、マウスの皮膚の細胞に特定の遺伝子を導入することで、からだのあらゆる組織の元になる特殊な細胞を作り出すことに初めて成功した。そして2007年、世界で初めてヒトの細胞から作り出すことに成功、「人工多能性幹細胞」という英語の頭文字から「iPS細胞」と名付けた。さらに2008年には、それまで必要だった癌遺伝子c-MycなしでiPS細胞を樹立し、さまざまな再生医療に画期的な可能性を提供した。

 この研究成果を受け、山中教授は2012年にノーベル医学・生理学賞を受賞し、現在も京都大学iPS細胞研究所の所長として、iPS細胞の実用化研究のコントロールタワーの役割を務めている。ヒトiPS細胞の特許をめぐっては、ドイツのバイエル社など激しく先行を争ったが、2016年現在、京都大学iPS細胞研究所が欧米など30以上の国・地域で基本特許を保有し、独占的運用をすることなく、特許管理会社を通じてライセンスを無償提供している。


 もしヒト細胞の一部を培養して、組織、器官を分化形成させることができれば、再生医療に大きな可能性をもたらすが、これまでは「ES細胞(胚性幹細胞)」がその可能性をもつものとして研究されてきた。しかしES細胞は、ヒトの受精卵から作製されるため、生命の萌芽としての受精卵を損壊してしまうという倫理的な問題があり、一方で、他人の受精卵由来のため、移植医療の場面で拒絶反応が起こるという難点がある。

  そのため、皮膚や血液など比較的安全に採取でき、かつ再生が可能な一般組織から、分化万能性をもった細胞を発見することが期待されていた。山中教授らのグループは実験を繰り返し、最終的にマウスの体細胞に4遺伝子(山中因子)を組み込むだけで、ES細胞と似た万能細胞が得られることにたどり着き、この細胞株を「iPS細胞」と命名した。そしてこれらの研究成果が、2006年8月にセル誌に掲載された。


 マウスiPS細胞の技術をそのままヒトの細胞に適用するには困難があったが、山中ら京大グループは、マウスiPS細胞の樹立に用いた4遺伝子のヒト相同遺伝子を導入し、さらに進んだ「ヒトiPS細胞」の樹立に成功し、2007年11月20日、その報告がセル誌に掲載された。

 ヒトiPS細胞樹立の成功により、ES細胞の持つ生命倫理上の問題を回避することができるようになり、また本人自身の細胞由来のiPS細胞も実現可能となり、免疫拒絶の無い再生医療の実現に向けて大きな一歩となった。一方で、初期化因子の導入や遺伝子導入の際のレトロウイルスなどにより、iPS細胞に於ける癌化が懸念されたが、その後の研究で課題をクリアする方法が編み出されている。


  iPS細胞は、再生医療において大きな期待がされている。再生医療とは、病気や怪我などによって失われてしまった機能を回復させることを目的とした治療法で、 iPS細胞がもつ多分化能を利用して様々な細胞を作り出し、欠落した体細胞を補完したりできる。

 一方、難治性疾患の患者の体細胞からiPS細胞を作り、それを患部の細胞に分化させて、その患部の状態や機能を研究したり、また、そのiPS細胞を利用して、人体ではできないような薬剤の有効性や副作用を評価する検査や毒性のテストが可能になり、新しい薬の開発が大いに進むと期待されている。


 iPS細胞技術の実用化・産業化が期待されるなか、知的財産としての特許等の管理運営は、京都大学iPS細胞研究所(CiRA/山中伸弥所長)を中心に運営されており、再生医療用iPS細胞ストックを構築し、知財の保護と権利化などを行い、再生医療の技術移転をスムーズに行えるよう運営する中心となっている。その結果、幅広い多くの研究機関で各種実用化研究がなされている。


◎北朝鮮 核開発問題

*2006.10.9/ 北朝鮮が初めての地下核実験を行う。


 朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)は、2003年1月NPT(核拡散防止条約)から脱退、2005年2月公式に核兵器の保有宣言を行い、そして2006年10月9日、初めての地下核実験を行った。爆発の規模はTNT火薬にして1キロトン以下、広島に投下された原爆の15分の1以下とされる。

 北朝鮮に核・ミサイルの「開発凍結」をさせるために、日米韓などは食糧支援・経済支援・制裁解除を何度も実施したが、北朝鮮は開発凍結を約束しながらも、裏で開発を続けてきた。北朝鮮との対話と援助による核・ミサイル開発放棄は、裏切られて失敗を繰り返し、その結果、北朝鮮の核・ミサイル開発進行を許してきた。


 北朝鮮が本格的に核開発に取り組んだのは朝鮮戦争後で、1956年に旧ソ連との間に原子力開発に関する基本合意を行い、数人の科学者を旧ソ連に派遣、小規模の実験用原子炉の供与を受け、寧辺(ニョンビョン)に建設された。旧ソ連は原子力の平和利用に限定する立場だったが、北朝鮮は核兵器を持つことを目標にしていたとされる。

 この後も核開発計画は放棄されることはなく、1982年以降のアメリカの偵察衛星による写真などから、寧辺に新たな原子炉が建設されていることが判明した。アメリカは北朝鮮を核拡散防止条約(NPT)に加盟させるよう誘導し、北朝鮮はNPTに加盟し国際原子力機関(IAEA)の監視下に置かれたが、核開発疑惑はくすぶり続けた。


 1986年3月寧辺付近の衛星写真から、高性能爆発実験の痕跡が判明し、原爆開発の計画を進めているとされると、国際的な非難が高まるなか、北朝鮮は2003年1月にNPTから脱退を通告し、現在まで脱退したままとなっており、国際社会や国連は、直接に北朝鮮の核開発問題に関与できないでいる。

 北朝鮮が核開発を継続する理由は、冷戦崩壊後も朝鮮戦争は「休戦」状態のままで、旧ソ連は崩壊し、同盟国中華人民共和国との関係も微妙となるなかで、アメリカ合衆国などの圧力から金独裁政権を守るためには、独自核技術を持ち核抑止力に頼るしかないという信念に基づいている。


 日米韓などは、北朝鮮が核・ミサイルの「開発凍結」を約束する度に、食糧支援・経済支援・制裁解除をなんども実施したが、北朝鮮は密かに裏で開発を続けてきた。その結果、北朝鮮の核・ミサイル開発進行を許し、ついに北朝鮮は事実上の核保有国となってしまった。究極的な目標は、アメリカ大陸を射程に置く核弾頭ミサイルの開発とされる。

 2003年以来、アメリカ合衆国・韓国・北朝鮮・中国・ロシア・日本の関連6ヵ国は、6ヵ国協議(六者会合)という多国間協議での問題解決を目指しているが、各国間の足並みが揃わない上に、2007年の第6回を最後に、北朝鮮が協議を拒否したままとなっている。北朝鮮はアメリカとの2国間対話のみを求め、他国を相手にしない姿勢を貫いている。


 北朝鮮は、核放棄を条件にするいかなる交渉も拒否すると表明し、世界の求める「北朝鮮の非核化」を相手にせず、アメリカによる韓国への核の傘撤回、最終的に在韓米軍の撤退を「朝鮮半島の非核化」と呼んで狙っているが、これを米側が全面的にのめるはずもなく、話が並行するままで、その間にも北朝鮮は着々と核とミサイルの開発を進めている。


(この年の出来事)

*2006.2.10/ イタリア トリノ冬季オリンピックが開幕する。

*2006.6.4/ 秋田児童連続殺害事件で女が逮捕される。

*2006.6.5/ 村上ファンド代表村上世彰が証券取引法違反で逮捕される。


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