【20th Century Chronicle 1977(s52)年】
◎青酸コーラ事件
*1977.1.4/ 東京港区内の公衆電話ボックスなどで拾ったコーラを飲み、2人が死亡する。のちに青酸ナトリウムが検出され、同種事件が続発。
公衆電話に置かれていた未開封のコーラを飲んだ高校生が死亡、さらに、近くの商店の赤電話そばに置かれていたコーラで作業員が死亡。ともに青酸ソーダによる中毒死、青酸ソーダといえば毒物の代表的存在だった。不特定無差別殺人事件として大きな話題となったが、警察による大規模捜査にもかかわらず、犯人犯行を特定できず、多くの謎を残したまま1992年公訴時効となった。
事件後も、各地で真似をしたと思われる事件が頻発した。チョコレートやコーラに混入などいろいろだが、いずれも青酸化合物が使われており、メッキ・塗装・加工業などで比較的多く使われていて、比較的手に入りやすい強力毒物であった。
この種の犯行は、動機や意図が不明で犯人像がしぼりにくく、被害者と犯人は無関係と思われるので、手がかりがなくきわめて捜査が困難である。この事件や後のグリコ・森永事件などでは、「愉快犯」という言葉が用いられるようになった。
昨今のネット社会ともなると、いとも手軽に「愉快犯」的な犯行が可能になっている。むしろ犯罪であるとの自覚もなく、騒がれてから気がつくような事件が頻発しているのである。誰もが容易に、犯人になり被害者になり得る時代である。
◎王貞治 通算本塁打世界新
*1977.9.3/ 巨人軍の王貞治が、後楽園の対ヤクルト戦で通算756号の本塁打世界記録を樹立する。
王貞治は早稲田実業高校2年生のとき、四番エースとして春の選抜高校野球で優勝した。台湾出身の父と日本人の母との間に次男として生れた貞治は、親の期待もあって大学に進学するつもりであったが、読売巨人軍の強い勧誘を受け入団した。
入団後3年間は、徐々に頭角を表すが、そのずば抜けた才能に見合った活躍とは言えなかった。3年目の秋、荒川コーチが就任し、その出会いが王の才能を開花させた。いきなり一本足で結果が出たわけではないが、やがてその型を固めるとホームランを量産し出した。
シーズン55本塁打、2年連続の三冠王など驚異的な記録を残し、そしてこの年756号本塁打を放ちハンク・アーロンの記録を抜いた。その生涯868号ホームランは世界に冠たる記録となった。
阪神 村山が長嶋にライバル心を燃やしたように、同じくタイガース江夏は、王を生涯のライバルとして対決した。江夏が最も多くの三振を奪ったのは王からであり、そして王が最も多くのホームランを打った相手は江夏であった。
長嶋には「長嶋伝説」とされる逸話が多くあるが、温厚実直誠実とされる王には、そのような面白い話は少ない。そのこと自体が王の人格を示すものであろう。しかし、中学生時代、外国籍であるのにいじめられなかったのは、その体格とともに喧嘩の強さが周知されていたからだという。
また巨人軍若手としての寮生時代、当時の名物寮長 武宮敏明が言う歴代の3ワルは王・柴田勲・堀内恒夫とのことであり、3者共に名球界入りしている。若いときには、それぐらいのワルでないと超一流になれないということか。
*王貞治名言集 http://topicks.jp/20638
◎尺指しの製造許可
*1977.9.16/ 計量行政審議会が19年ぶり曲尺(かねじゃく)・鯨尺(くじらじゃく)の製造販売を許可することを決める。
明治の近代化後も日本では長らく尺貫法とメートル法が併用されて来た。戦後、計量法が定められて学校教育などではメートル法だけに限定されたが、世間では尺貫法が広く使われていた。さらにメートル法を徹底するために、昭和34年計量法改正により商取引での尺貫法の禁止が規定され、罰則も設けられた。
親が西陣織を織っていたため、この時のことはよく憶えている。メートル法を強制するために、尺単位の物差しの製造販売も禁止されたと聞いている。もちろん一気に止めるわけにいかず、まわりはみな、物差しは闇で高額になったものを買うことになった。やがて、尺指もcmメモリと併記されたものは許されるなど、適用はゆるくなったと思う。
1尺といっても「曲(かね)尺(1尺≒30cm)」と「鯨尺(≒38cm)」と二種類ある。曲尺が基本尺とされており、建物・家具などで使われる。曲尺の文字は、大工さんなどが使う指矩(さしがね)から来ていると言われる。一方、鯨尺は呉服関係で使われ、もちろん西陣織の帯もこの鯨尺が基本だった。その名は、鯨の鬚(ひげ)を利用したところから来ているという。
「尺」という文字は、手を広げ親指と中指で寸法を測る時の形からの中国の象形文字から来ているという。日本ではそれより長く1尺≒30cm(曲尺)、これは大人の「尺骨」の長さを基準にしたものだそうだ。物差しがなくても、肘先を当てることによって凡その寸法が分るので便利。
ちなみにいまだアメリカ人が頑固に使うヤードポンド法では、1フィート(foot,feet)≒1尺≒30cm であり憶えやすいが、こちらは白人大人の足(foot)の大きさを基準にしたらしい。アングロサクソンが寸法を測るときは、そのデカイ足を交互に前に揃えながら測るのだろう。
このようにヤードポンド法や尺貫法は、人間の体や生活環境を基準にしているものが多く、実感になじみやすい。それに対してメートル法は、地球や水などの物理的なものを基準にしている。そのため 1m や 10cm などは、手足で測るには中途半端な寸法であることは、家具などを買うときに実感すると思う。家具の寸法などは、60cm(2尺)、90cm(3尺) など尺を念頭に置いておくと分りやすいという、生活の智慧である。
◎日本赤軍 ダッカ事件
*1977.9.28/ 日本赤軍が、インドのボンベイ(現ムンバイ)離陸直後の日航機をハイジャックし、日本に拘留中の赤軍派ら9人の釈放と身代金600万ドルを要求する。
当時の新聞を見ておどろいたが、日航機ハイジャック事件と同日に、クアラルンプールで日航機墜落事故を起こしていたのだ。2年前に米大使館占拠事件で、拘束されていた赤軍派の釈放をした同じクアラルンプールだったが、こちらは事故で、同時多発テロではなかったが、日航は泣きっ面に蜂だった。
離陸した日航機は、インドの隣国バングラデシュのダッカ国際空港に強行着陸。犯人たちにはクアラルンプール事件で釈放された佐々木規夫や坂東国男が含まれ、釈放要求されたリストにはクアラルンプールの実行犯で、その後逮捕されていた奥平純三の名もあって、日本赤軍のひき起こす事件には、釈放されたメンバーが関わるという悪の循環があった。
釈放要求のメンバーには左翼活動と無関係な殺人刑事犯も含まれ、「兵士」としての利用価値を考慮したものと思われる。結果、当時の福田首相の「一人の生命は地球より重い」という言葉と共に、2度目の「超法規的措置」として6名の釈放と身代金600万ドルが支払われた。いかにも場違いに思える福田首相のメッセージだが、日本政府の弱腰対応は、内外からの批判を受けることになった。
なお2回の「超法規措置」で釈放された赤軍派たちは、いまだ逃亡したまま国際手配されている者が何人もいる。
(この年の出来事)
*1977.2.23/ 宇宙開発事業団(現 宇宙航空研究開発機構 JAXA)が、種子島宇宙センターで日本初の静止衛星「きく2号」の打ち上げに成功する。
*1977.5.2/ 領海法と漁業水域前提措置法(海洋2法)が公布される。これは、ソ連が新たに拡大設定した漁業海域200カイリに対応する必要が生じたため。(7.1施行)
*1977.5.7/ ロンドンで第3回主要先進国首脳会議(サミット)が開催され、日本からは福田赳夫首相が参加する。
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