【19th Century Chronicle 1872(m5)年】
◎学校制度の刷新
<東京大学創設>
*1872.3.13/ 明治天皇が、大学東校(現東京大学)に行幸、学校行幸の始めとなった。




<学制整備>


*1872.4.15/ 東京芝増上寺内に「開拓使仮学校」が設置された。当初から北海道開拓に当たる人材の育成を目指し、1875(明治8)年、札幌学校として札幌に移転、以後、「札幌農学校」と改称して現「北海道大学」の前身となった。
*1872.5.29/ 東京に、教員養成を目的に「師範学校」が創設される。
*1872.8.2/ 国民皆学をめざして「学制」が公布される。「大学・中学・小学」の3段階の学校制度を設け、それぞれ学区が定められた。
「学制」は、明治5(1872)年8月2日に発された、日本最初の近代的学校制度を定めた教育法令であり、全国を学区に分け、それぞれに大学校・中学校・小学校を設置することを計画し、身分・性別に区別なく国民皆学を目指した。「教育令」の公布により、明治12(1879)年9月29日に改変された。
◎明治改暦/太陽暦の採用
*1872.11.9/ 太陽暦の採用を布告する。太陰暦明治5年12月3日を、明治6(1873)年1月1日とする。

公布から1ヵ月の猶予もなく性急な新暦導入が行われたのは、明治政府の財政状況が逼迫していたことが、その理由とされる。旧暦のままだと明治6年は閏月があり、13ヵ月となっていて、月給制に移行した官吏への報酬が年間13回の支給となる。そこで、新暦を導入して12ヵ月とし、しかも明治5年12月は2日しかなく支給無しとし、結局月給は11ヵ月分で済ますことになった。新暦導入により新政府は窮地を脱したが、はたしてこれで、官吏など給与生活者は損をしたのかどうか(笑)
(この年の出来事)
*1872.1.29/ 初めて全国戸籍調査が実施される。この調査で、人口は3,311万825人とされた。(壬申戸籍)
*1872.3.10/ 第1回京都博覧会が、本願寺・知恩院・建仁寺を会場として開かれる。13日には余興として、都踊り・鴨川踊り・東山名所踊りの共演があり、都踊りは片山春子(三代目井上八千代)に企画され、祇園歌舞練場で毎年続く行事となった。以後、京都博覧会は毎年開催された。
*1872.7.19/ 参議西郷隆盛が陸軍元帥となり、近衛都督を兼務する。
*1872.9.12/ 新橋~横浜間に日本最初の鉄道が開通し、開業式が挙行された。
*1872.10.4/ 群馬に官営富岡製糸工場が開業する。フランス製機械を導入して、機械製糸工場の初めとなった。
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