◎元禄文化
*1691.1.1/ 仮名草子作者浅井了意、没(80)。
*1691.7.3/ 向井去来・宮城凡兆が芭蕉の参画も得て、句集「猿蓑」を編纂刊行する。
*1692.1.-/ 井原西鶴の「世間胸算用」が、三都同時に発売される。
*1693.8.10/ 浮世草紙作者井原西鶴、没(52)。
*1693.冬 井原西鶴の遺作となった「西鶴置土産」が刊行される。
*1693.-.-/ 鳥居清信の挿絵入りで、初代市川団十郎ら100人の歌舞伎役者を取り上げた「古今四場居百人一首」が刊行される。
*1694.3.-/ 井原西鶴「西鶴織留」が刊行される。
*1694.6.4/ 絵師菱川師宣、没(77)。
*1694.夏/ 松尾芭蕉の「奥の細道」が完成する。
*1694.10.12/ 松尾芭蕉、「旅に病んで・・・」の句を残し大坂で客死する。
元禄文化は、江戸時代前期の元禄年間前後にかけて展開された文化で、大坂・京など古くからの文化基盤をもつ上方を中心に開花した。江戸幕府の安定とともに、農村での生産が拡大するとともに、商品作物生産の発展により、三都を中心に貨幣経済が浸透し、都市町人の経済活動も活発化した。
そのような経済的背景のもとに、商人や町民がささえる文芸・学問・芸術が花開いた。戦乱の多かった中世前半期には、この世を「憂き世」とみなす隠者文芸や、水墨画のような禅宗と結びついた絵画が好まれたが、元禄文化では、現世を「浮き世」として肯定し、現実的享楽的な民衆の精神が前面に押し出されてきた。
文芸の分野では既述のように、小説の井原西鶴、俳諧の松尾芭蕉、浄瑠璃の近松門左衛門が、傑出した作品を著した。
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また、実証的な古典研究や実用的な諸学問が発達し、絵画では、日本的な装飾画の様式を完成させたとされる尾形光琳や浮世絵の始祖といわれる菱川師宣があらわれ、従来よりも華麗で洗練さを増した美術工芸品などが数多くつくられた。
さらに、音曲と組み合わせて視聴覚に同時に訴えかける人形浄瑠璃や歌舞伎狂言も発展し、ますます庶民の娯楽が増加するなど、活力あふれる元禄文化が展開された。
江戸時代を通じて町人の享楽の場といえば、遊里と芝居街であった。「憂き世」を忘れて非現実の「浮き世」を楽しむ「悪所」が、江戸や京都・大坂などの街に出現した。京では、寛永年間からの島原遊郭や元禄期には祇園花街が栄え、大坂には公許の曽根崎新地などがにぎわい、江戸では明暦の大火後に移転構築された新吉原がその中心となった。
一方で、町人たちの歓楽の場となったのが芝居小屋などの演劇場である。劇場の発展は阿国歌舞伎以来の伝統を有する上方が先行した。京では、延宝のころ四条大橋の東側四条通りの南北に面して歌舞伎・浄瑠璃の芝居小屋が立ち並んだ。大坂では道頓堀を中心に人形浄瑠璃や歌舞伎狂言の小屋が立ち並び、江戸には中村座・市村座・森田座と江戸三座と呼ばれるような演劇場がそろっていった。
遊里と芝居街は、元禄文化をささえる中核的な場となった。遊廓の上級の遊女(芸娼)は太夫や花魁などと呼ばれ、芸事に秀で、文学などの教養をつみ、富裕な町人・武家・公家を客として、遊び事と融合した芸能文化を創り出した。
芝居小屋では人形浄瑠璃や歌舞伎狂言が演じられ、町人の娯楽となる生活文化をはぐくんだ。竹本義太夫は義太夫節を完成させ、竹田出雲や近松門左衛門の戯曲とともに人形浄瑠璃の最盛期を形成した。
歌舞伎狂言は、歌と踊りを中心とする舞台芸能から、物語性を重んじる演劇へと変化して、人形浄瑠璃の演目と重ね合わさりながら、技芸本位の芸能に深化していった。上方では初代坂田藤十郎が、廓物など恋愛事を優美に演じる「和事」の達人として評判を呼び、江戸では初代市川団十郎が、独特の隈取りや誇張された衣装、荒々しい所作での見得切りなど「傾(かぶ)き者」の演技で「荒事」を大成させた。
(この時期の出来事)
*1691.2.21/ 将軍綱吉が、湯島聖堂での孔子を祀る釈奠に出席し、1000石を寄進する。
*1691.8.22/ 将軍綱吉が、側用人柳沢吉保の屋敷を訪れる。以後58回に及ぶ。
*1691.4.28/ 幕府は日蓮宗悲田派(不受不施派)を禁じ、7月には悲田派の僧69人を八丈島などへ流す。
*1692.7.25/ 高野山の学侶・行人の争論に幕府が裁決を下し、行人300余人を山から追放する。
*1694.2.11/ 中山安兵衛が高田馬場で、菅野六郎左衛門の仇討に助太刀し、剣名を上げる。
*1695.4.21/ 将軍綱吉が、側用人柳沢吉保に豊島郡染井村の地に別邸地を与える。
*1695.8.11/ 勘定吟味役荻原重秀の建策により、金銀貨幣改鋳が行われる。
*1695.9.18/ 将軍綱吉が、知足院を護持院と改称、住持隆光を大僧正に任じる。
*1695.10.16/ 生類憐みの令に違反した大坂定番に属する与力・同心11名が、切腹を申し渡される。
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