【29.十円硬貨の記憶】
十円銅貨は昭和26年から製造を始めたらしい。となると、わたし自身は昭和23年生まれだから、3歳前後の記憶となる。三島由紀夫は「仮面の告白」で、生れたときの産湯を使う時の光景を憶えているなどとデタラメを書いている。
それはありえないが、3歳の記憶となると、結構早い時期だと思っていた。しかし調べてみると、発行されて流通しだしたのは28年かららしい。それだと5歳の時となるので、それならあり得ると納得した。
小学生の頃、昭和31年発行の10円硬貨には、製造ミスで金が混じっているので高く売れると、小学生たちの間で噂になった。当時の小遣いは、そのつど10円玉一個もらって駄菓子屋に走るのだが、目を皿のようにして31年の硬貨じゃないかと確認した。
結局、一度も巡り合わなかった。たまたまその年は、前年までの硬貨がだぶついていたので、一枚も製造されなかったということを、のちになってから知った。
十円硬貨の表側には、宇治平等院の鳳凰堂(阿弥陀堂)が刻印されている。鳳凰とは、「鳳」が雄、「凰」が雌をあらわす伝説上の霊鳥であり、鳳凰堂の屋根の両端に鳳凰が取り付けられているのが、鳳凰堂という通称の所以である。
実際には、一枚で雌雄の区別があるのではなく、発行初期のギザ十と呼ばれるタイプのコインに、両方ともに尾の下がったのがあるということだ。これはおそらく、途中から打刻する型枠が変更されたのだろうと思われる。しかし平等院の公式webでは、鳳凰堂の鳳凰に雌雄の違いは無いと断言されている。
ちなみにギザ十とは、コインの周囲にヘリにギザギザの刻みがある十円玉のことで、昭和26年から昭和33年の間に製造された。本来は、金貨や銀貨の地金価値の高いコインで、周囲を削って地金が盗まれるのを避けるために付けられたもので、十円銅貨のような価値の低いものは、たんなる飾りに過ぎず、現在のものにはこの飾りは無い。
0 件のコメント:
コメントを投稿