◎明和事件・尊王論者 山県大弐が死罪となる
*1767.8.22/ 尊王論者山県大弐(43)が死刑に処せられ、宝暦事件の竹内式部も連座、八丈島流刑となる。(明和事件)
*1767.8.22/ 上野国小幡藩主織田信邦が蟄居となり、弟信浮が家督を継いで出羽の高畠へ転封される。この小幡藩の内紛が、明和事件発覚の原因となった。
*1767.12.5/ 竹内式部が八丈島流刑の途中、三宅島で病死する。(56)



「尊王論」は中国由来の思想で、武力(覇道)をもって支配する「覇」に対し、徳(王道)をもって支配する「王」を尊ぶことを説く。日本では鎌倉時代から南北朝時代にかけて尊王論が受容され、天皇を「王」、武家政権(幕府)を「覇」とみなし、建武の新政の基調となった。

垂加神道は、天照大御神子孫である天皇が統治する道が正道であるとし、神儒の合一を主張し、湯武放伐(王権を武力で覆すこと)を否定した。垂加神道は尊王思想の思想的バックボーンとなり、水戸学の尊王論や平田国学に継承されると、幕末には攘夷論と結びつき、尊王攘夷から討幕論に流れ込んでゆく。

(この時期の出来事)
*1766.2.7/ 幕府が長州藩・新発田藩など9藩へ、美濃・伊勢と甲斐の河川の堤防普請を命じる。
*1766.3.-/ 幕府が浄土真宗御蔵門徒を、異端として逮捕して処刑する。
*1766.7.1/ 朝廷は、宮廷役人がみだりに菊の紋章入りの提灯を使うことを禁じる。
*1767.3.-/ 幕府は、関八州と甲斐へ、博徒など不良の輩の逮捕を命じる。
*1767.閏9.8/ 幕府は、諸国農民の強訴・徒党・逃散を厳禁し、あわせて西国の逃散農民の帰村徹底を厳命する。
*1768.3.-/ 大坂で、上田秋成が「雨月物語」を完成する。
*1768.4.6/ 江戸吉原の大火で、一般居住地域での仮宅営業が許可され、かえって大評判となる。
*1768.11.-/ 賀茂真淵が「万葉考」巻6までを著す。
*1769.2.21/ 幕府が一揆禁止令を出し、諸領主に他領の騒動に対しても出兵を命じる。
*1769.8.18/ 側用人田沼意次が老中格に、西の丸老中板倉勝清が本丸老中となる。
*1770.1.16/ 文楽「神霊矢口渡」が初演される。平賀源内が福内鬼外の筆名で書いたもので、江戸ことばの多用で評判を呼ぶ。
*1770.4.16/ 幕府は、強訴・徒党・逃散の禁止とともに、密告を奨励する高札を諸国に立てさせる。
*1769.2.21/ 幕府が一揆禁止令を出し、諸領主に他領の騒動に対しても出兵を命じる。
*1769.8.18/ 側用人田沼意次が老中格に、西の丸老中板倉勝清が本丸老中となる。
*1770.1.16/ 文楽「神霊矢口渡」が初演される。平賀源内が福内鬼外の筆名で書いたもので、江戸ことばの多用で評判を呼ぶ。
*1770.4.16/ 幕府は、強訴・徒党・逃散の禁止とともに、密告を奨励する高札を諸国に立てさせる。
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