◎享保の改革
*1721.4.-/ 幕府が「大奥法度」を定める。
*1721.閏7.-/ 幕府が勘定所の職務を分割し、「公事方」(訴訟関係)と「勝手方」(農財政)を定める。
*1721.8.2/ 幕府が評定所門前に「目安箱」を設置する。
*1722.4.6/ 幕府が「質地流禁止令」を出す(1723.8 撤回)
*1722.5.15/ 幕府が老中水野忠之を勝手係老中とし、幕府財政の再建にあたらせる。
*1722.7.3/ 幕府が諸大名に1万石につき100石の割合で「上げ米」を課し、代わりに参勤期限を短縮する。
*1722.7.26/ 幕府が日本橋に、諸国新田開発奨励の高札を立てる。
*1722.11.8/ 幕府が出版条目5ヶ条を出し、好色本の禁止など庶民の風紀を規制する。
*1722.12.7/ 幕府が小石川薬草園内に養生所を設ける。
*1723.2.20/ 幕府が心中者に厳しい罰則を定め、心中を改め「相対死」と公称する。
*1723.6.18/ 幕府が「足高制」を定め、役職に応じて俸禄を支給。有能な人材を登用できるようにする。
*1723.7.18/ 幕府が紀州藩士井沢為永を勘定衆に起用、紀州流の新田開発方式を導入する。
*1724.2.15/ 幕府が米価下落対策として、物価引き下げ令を出す。
*1724.6.15/ 江戸町奉行大岡忠相が「享保度法律類寄」を編纂して幕府に提出する。
*1724.6.23/ 幕府が大名・旗本に倹約令を出し、また商人の妻女の華美な衣服を禁じる。
*1724.7.21/ 幕府は浅草蔵前の札差株を109人に限定、株仲間を結成させ、高利貸付を防止する。
*1725.11.-/ 幕府は米価下落防止のため、3人の江戸商人に、大坂での買米と米会所(相場所)の設立を許可、米相場の統制を図る。

吉宗は将軍に就任すると、正徳の治を主導した新井白石や間部詮房らを罷免、本家筋ではなかった吉宗の指導力を高めるため、紀州藩の人材を多く幕臣に登用した。また「足高の制」を定め、身分の低い者も登用できるように、職務に応じて俸給を補填するようにした。
最も逼迫した課題は、幕府財政の建て直しであった。主たる方策は増税と倹約であり、年貢を強化して四公六民から「五公五民」に引き上げ、豊凶に関わらず一定の額を徴収する「定免法」を採用して財政の安定化を図った。一方で、新田開発を推奨し米の増産を図るとともに、飢饉対策作物としての甘藷(サツマイモ)栽培を奨めたり、商品作物や薬草の栽培を奨励した。


一方で民政の安定にも労を割き、「公事方御定書」を編纂した。従来の慣例や町奉行などの差配によって為されてきた司法判断を成文化し、訴訟事処理の効率化と刑罰などの客観化が達成された。他方、金銭貸借についての訴訟(金公事)に関しては、「相対済令」によって当事者間の話し合い(相対)による解決を命じた。これは窮乏した旗本・御家人らの事実上の借金踏み倒しに目を瞑ることで、一種の救済策ともなった。


(この時期の出来事)
*1721.4.1/ 幕府が死罪の農民・町人に対する縁座制を大幅に制限する。
*1724.11.21/ 浄瑠璃・歌舞伎台本作者、近松門左衛門(72)没。
*1725.5.19/ 正徳の治を進めた新井白石が、失意のうちに逝く(69)。
*1725.9.3/ 江戸の豪商で、大尽遊びの限りを尽くした2代目奈良屋茂左衛門が没す(31)。
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